かつてペリカン書房が営まれていた横丁は、東京大学の正門から本郷通りを挟んでの所から入ります。そこにはかつて、住民の生活を支えた商店が並んでいたといいます。
102歳まで長生きされた品川力(しながわ・つとむ)さんが2006年にお店とともに旅立ってからも、不思議にもペリカン書房の看板は今も掲げてあります。
この界隈の古書店というのは、庶民向けと言うより東京大学が近いことから研究者や学生向けの学術書、専門書でお店の特色を出したことで知られます。ペリカン書房もその中の一軒であったと思われます。
それに加えて、店主の品川力さんが研究者や作家の来店客と交流をしてきた話が際立っていて、没後10年余りが過ぎても地元文京区の記念誌『文京区政70周年記念 写真で綴る「文の京」 歴史と文化のまち』にも取り上げられたほどです。
かつて来店客が自由に開け閉めした出入り口のガラス戸は、中はカーテンで隠れてはいても、外側にポスターが貼られています。
新潟県柏崎市で催された『本の配達人 品川力とその弟妹』展と『光と影の造形詩人 品川工』展の2枚です。すっかり日焼けしていますが、今なおペリカン書房の逸話を知ってここまで足を運んで来た人への御礼のようにも思います。
ポスターの中では品川力さんが木箱にしまった本を乗せた自転車で東京を走っています。
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その隣に最近新しい1枚が加わりました。やはり展示会のポスターです。
タイトルは『没後10年 品川工展 組み合わせのフォルム』。練馬区立美術館で2019年11月30日から2020年2月9日まで観覧無料で公開予定されています。その告知のポスターです。
『没後10年 品川工展 組み合わせのフォルム』公式サイト https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201908121565593487
品川工(しながわ・たくみ)さんとは、ペリカン書房の品川力さんの弟にあたる方です。工さんは1908年の生れ、明治41年のこと。お兄さんの様に弟さんも100才を越したご長寿でした。
棟方志功との二人展も開いたほど、斬新な作風で知られた品川工さん。晩年までCWAJ(College Women’s Association of Japan https://cwaj.org/jp)主催のチャリティ展にも出品を続けていました。
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ペリカン書房が来店客を招いた部屋で、思い出話をして下さったのは品川純さん。品川力さんの次男にあたる方です。
若い頃から美術が好きで、住まいの本郷から歩いて行ける上野の美術館に足しげく通い、展覧会を見に行ったそうです。
その純さんがファンになった作家の一人に、自分の叔父さんでもある、品川工がいます。
小遣いをためては工さんの作品のいくつかを買いました。作家からすれば実の甥っ子がバイトまでして買ってくれたのですから、格別の嬉しさがあったのではないでしょうか。
ペリカン書房は売り場の奥は家族の住まいでした。
主が客の一人を奥へ案内します。文献学者としても活躍した品川力さんは来店する学者や作家との交流を大切にしたので、客間も懇談の場に使われました。
品川家にはこれはよくある光景でした。
客間にも純さんが求めた品川工の作品が飾られており、力さんの文化サロンに花を添えていたのです。
そんなある日のことです。
客の一人が客間に飾ってある版画に一目惚れしてしまったのです。
その版画は、純さんが叔父さんから買った作品です。
ぜひ自分に譲ってほしい‥‥。突如として文化サロンの主題は版画購入の交渉に差し替わってしまいました。
譲って差し上げたいのはやまやまですが、しかしあの絵は、自分の息子が働いて買った物ですから、できません。
そうは言ってみても駄目でした。わざわざ他人の家に飾ってある物を譲ってくれと言える人ですから、押しが強かったことでしょう。ついに品川力さんが息子の純さんに、申し訳ないが譲ってあげてほしい‥‥と言う始末。純さんも渋々同意したのだそうです。
ちなみに、品川力さんが後年にまとめた著作『古書巡礼』に「ネガとポジNo.7」(1968年)が、『本豪 落第横丁』には「小さな独裁者」(1956年)がカバーに使用されています。
今回の企画展には純さんが所有する作品も出品されるそうです。ファンとして、甥として、どのような印象を持たれることでしょうか。
文責・板垣誠一郎
2019.11.15.
〈2017年3月配信!〉 ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。── その思い出を聞く。