[本郷・東大赤門]ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。(第10回)「本郷のペリカン」

第10回 本郷のペリカン

シナガワさんだったら、息子さんたちと本郷薬師前あたりの街頭テレビのところか、そこじゃなければあっちかなぁ。和菓子の扇屋さんで、茶通(ちゃつう)か何か頼んで喫茶に坐ってテレビ見ているんじゃない? だって今日はプロレス中継があるはずよ、力道山と誰の試合だったかなぁ‥‥。シナガワさんプロレスとかボクシングとか好きなのよ。

それとも、もしかしたら都電に乗って映画を見に行っているのかもね。巣鴨か神田か、あとは飯田橋の佳作座だとか‥‥。一人じゃ行かないよ、シナガワさん。息子さんたちを連れてる。ふだん自転車で方々動き回っているわりに、電車とかバスの路線に弱いらしくてね。あんなに勤勉な方がどうしてなのか、おもしろいわよね、今度きいてみたいわね。

でも徳よね。風貌がああでしょ? 背も高いし。笑い話でよくご本人がおっしゃったんだけど、ある時ね、バスに乗っていたら娘さんが話しかけてきたんですって。

「ニホンゴ、話せますか?」

── ほんの、少し。

「どちらの国からいらしたの?」

── ‥‥。

内心では勘違いされているのがおかしくてたまらなかったらしいんだけど、ほら、シナガワさんって吃音症があるから、うまく答えようにも、もどかしくてそれでやっと言えたのよ、「ほんの、少し‥‥」って。

ファッション誌や映画のワンシーンに出られたのも異国情緒ある感じが世間の目にとまったのよね。

‥‥あら噂をしてたら、向こうから来る自転車、シナガワさんじゃないのかしら。そうよね。シナガワさぁん! お客さんよぉ!(さえぎられて)‥‥なに? え、あなたペリカン書房のお客じゃないの? 一度も来たこと無いって? 何言っているの、ここにあるじゃないのよ、ほら。

シナガワさぁん、こちらの方、さっきからずっとお店の前でお待ちでしたよ‥‥。シナガワさん、シナガワさん、聞こえるぅ?(小声になって)あのね、さすがに最近は耳が遠くなってきたらしくってね。自転車乗っててさ、まわりの音が分からないと危険でしょう。ご家族が心配して、自転車はそろそろよした方がいいんじゃないかってね‥‥。

でも、横丁を知っている者にはさ、ペリカン書房は世間に知られた存在でしょ。いつまでもがんばってほしい気持ちもあるのよね、シナガワさん、ね。

(その時、上空に大きな飛行体が舞う)

あらやだ、あれ、大きな鳥。ペリカンってあんな飛び方をしたかしら。

そういえば昔ね、ブルーインパレスが東京の空に五輪を作ったのよ。青 · 黄 · 黒 · 緑 · 赤のジェット雲で輪を描いていたの。あなたなんか、まだ若いから知らないでしょうけど、何かで見なかった? 昔のことよね、何もかも。

(自転車だけが目の前にある)

シナガワさん、お店の中に行っちゃったのかしら‥‥。

(了)

ペリカン書房の値札(提供・品川純)

品川力

(しながわ・つとむ)

1904(明治37)年柏崎市生れ。当時品川家は牧場や書店を営む。1918(大正7)年政界入りに失敗した父豊治は家族とともに上京。神田猿楽町で品川書店を開く。力は吃音矯正のため楽石社に通うが吃音は生涯の生きるテーマでもあった。19歳で関東大震災を経験。書店は焼失。母方の叔父・成沢玲川(「アサヒカメラ」初代編集長)の紹介で銀座レストラン「富士アイス」勤務経験を経て、仏料理店で働いていた弟・工(たくみ)とともに1931年(昭和6)本郷でレストラン「ペリカン」開業。まだ無名であった文士・学者たちが通い、後々記録に残している。戦時下でレストランは閉店するが同じ落第横丁でペリカン書房開店(1939年)。古書店の枠を越え文献収集および研究を行う。駒場の日本近代文学館に寄贈を続けた(昭和38年から半世紀2万点のコレクションに及ぶ)。その際に自転車で運んだ姿が注目を浴びて新聞や雑誌に紹介された。本連載タイトルの写真は1970年(昭和45)4月に新宿区富久町辺りの靖国通りで撮影。「丸石」という自転車を使っていた。2013年柏崎ふるさと人物館企画展『本の配達人 品川力とその弟妹』展の広告イメージに使われた。内村鑑三関連の文献収集の成果は国立国会図書館が1960年(昭和35)タイプ印刷で品川力編『内村鑑三研究文献』を発行する(後年、二度の増補版を他社で刊行)。若くから『越後タイムス』などで寄稿を重ねてきたが、70歳を越して『古書巡礼』(1982年)『古書邂逅本豪落第横町』(1990年)を青英舎から刊行。2006年102歳で永眠。


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ペリカン書房に飾られた品川工の版画(練馬区立美術館『没後10年 品川工展 組み合わせのフォルム』公開を前に)

ペリカン書房に飾られた品川工の版画(練馬区立美術館『没後10年 品川工展 組み合わせのフォルム』公開を前に)

 


文責・板垣誠一郎


〈2017年3月配信!〉
ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。── その思い出を聞く。

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

このサイトは、東京ゆかりの本屋さんからうかがった思い出や、地域ゆかりの本や資料からたどりまして、歴史の一場面を思い描きながらこしらえた物語を発信しています。なお、すでにお店の所在地・営業時間は取材時のものです。(東京のむかしと本屋さん編集部)

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