第1回
白山通りのイチョウ並木
うずたかくつまれた本のどこかに、東京のど真ん中、千代田区神田の歴史が見つかります。それは地元住民の息づかい‥‥。水道橋駅東口から数分の古書店・有文堂の店主・木下長次郎さんにきいた思い出ばなし。連載第1回は「白山通りのイチョウ並木」。
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東京、水道橋。白山通りをつなぐこの橋は大通りの車もさることながら、常に人が行き交ってございます。今年もプロ野球が始まり、ひいきのユニフォームに仮装する方、アイドルのコンサートに詰めかける娘さん、大学に通う人や会社勤めの人ももちろんおりますナ。JR水道橋駅の東口、さいきんは海外の観光客陣も目立ちます。東京ドームとラクーア、東京シティ競馬そのほかもろもろの施設と、日本大学はじめとする大学キャンパスのございます神田との境目でございます。
幅広い白山通りには、かつて路面電車が走っていたそうです。今は地下を三田線が走ってるんであります。
あと3年先には、東京オリンピックのマラソンコースとして、この大通りを人が走るらしいんだそうで。
いずれこの通りの電柱をなくしてしまう考えがあるそうですナ。電線も地下にもぐってしまう。いつ起こりかねない大地震で電柱が倒れかねない危険を考えてか、マラソン中継の映像美のためか、いずれにせよ、その工事のために困ったことが起きていた。通りに育ったイチョウがその犠牲になって切られることを、最近になって知りました。
130本のうち、51本の伐採を都建設局は計画して、すでに一部は伐られてしまった。ちょいと注意して見ますと、いま樹には通知書がまかれている。「12月に予定していた樹木の伐採については一旦休止し、再検討をしています。東京都第一建設事務所」。
この伐採に対して、住民から保存を求める声があがっていると、すでに去年の新聞が報じておりました。
今の西神田に生まれ、白山通りに縁のあった歌人・水原秋櫻子(みずはら しゅうおうし)氏が残した歌に、この辺りのイチョウを連想させる作がございますよ。
学 校 街 街 路 樹 黄 な り 文 化 祭
扇形の葉が黄色く変わる秋口の、学生街、神田の町並みが浮かぶ。夏が去り、過ごしやすい天候の中で、賑やかに文化祭がくりひろげられるようで心和らぐ。
そういえば、3年先のマラソンは夏のさなかに行われるなら、選手は言うに及ばず、木蔭の少ない白山通りにつめかける見物人たちが心配ですが、ま、大事にして下さい。自己責任の時代ですからねぇ。
さて、白山通りのイチョウですが、実はこれ、70年余り前の昔に起きた空襲の被害から、神田の町が復興したシンボルだと記事に書かれてございまして、住民の代表として名前が出ているのが木下長次郎さんと申します。水道橋駅東口から神保町側に向かう通り沿いにお住まい。その住まいは商店を兼ねてもおります。
商店の名を、有文堂書店。創業大正6年2月27日。店内に当時の神田西神田警察署からの古物商許可証が柱にぺたりと貼ってあり、その下に木下さん、今年こう書き添えた。
祝、創立一〇〇年 大正六年二月~平成二十九年二月
先代から有文堂書店を任されたのが昭和30年代だそうです。以来、60年余りを大通りの路面店で古本屋を営んでこられた。
この店は営業中、戸がない。
「 夏は暖房、冬、冷房。」
木下さんからこの決めゼリフを耳にすると、客の方は勝手だから、あぁそういうものなんだぁと妙な納得をする。
夕方に訪れましたらラジオが聴こえますよ。川向こうの東京ドームの一戦かと思えば、マツダスタジアムの試合だった。実は木下さん、広島びいき。
番台の木下さんが腰の辺りのスイッチを切った。実は有文堂での思い出話をうかがいたいと、先日思い切ってお願いしたんでございます。
(つづく)
→ 第2回
文責・板垣誠一郎
参考資料
- 「無電柱化で伐採…「イチョウ残して」 白山通り住民「戦後復興の象徴」」東京新聞2016年12月9日 夕刊(web)http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201612/CK2016120902000264.html
〈2017年5月配信!〉 神田三崎町と有文堂書店の100年。 ── 店主・木下長次郎さんにきいた思い出ばなし。
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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