連載◎[水道橋/神田三崎町]神田三崎町と有文堂書店の100年。(第2回)ゴチャゴチャ住んでたもン。

第2回
ゴチャゴチャ住んでたもン。

有文堂書店から表を眺めると、歩道と白山通りを超えてビルが並びます。ちょうど向かいに今は洋服の青山さんが入っているけれど、10年余り前にはそこは新刊書店の旭屋書店でございまして、昼時になると本郷から水道橋渡って散歩がてら立ち寄ったものです。

木下さんからもっと前の様子を聞けました。なんたって御年80。

木下さんが小学校に入って3年目、日本は敗戦。

それから、水道橋駅から神保町交差点までの白山通りにはイチョウの樹が植えられ、歳を重ねることウン十年。景色になじんで行く。

「この辺、人がゴチャゴチャ住んでたもン。

あたしがガキの頃なんて、朝にメシ食って出てッたら、夕方まで帰ってこなかったもンね。

他所(よそ)の家ったッて、ガラッと戸開けてサ、入ってって遊んで昼メシ食ったりして‥‥」

木下さんから出てくるのは町内会とか横丁とかいう言葉なんですが、どうもピンと来ないんです。大学やマンションなどの建物が林立する現在の三崎町界隈にですな、住民がごちゃごちゃ居て、木下さんはじめ皆さん元気あって、にぎやかな町並というのを私のようなよそ者がイメージするのは、どうも難しい。

ちょっとここでブレイク。

九段の方へ行くと千代田区役所のビルがございます。そこの上の図書館はアドバイザーまでいるほど調べ物には都合がいい。ご存じの方にはすっかりおなじみでしょう。

私、そこで住宅地図を出してもらいまして、水道橋駅を中心とした周辺の様子を、2016年から約10年毎に1953年(昭和28年)までさかのぼって見てみることにしたんです。

御年80の木下さんが、高校生の頃の三崎町界隈の町並みを、地図の記録から想像してみようという趣向。

新刊書店の旭屋書店水道橋店ですが、1977年版にはすでに出てくる。建物は、財団法人結核予防会になっていて、1953年版でも確認できます。

その1953年版の住宅地図を見て、駅周辺には沢山の店、会社が点々と記されているのには驚かされた。ひゃあ! びっくりする。いや、ほんと。

ゴチャゴチャ住んでたもン──木下さんの言い回しがぴったり来る。

ぜひ一度、三崎町界隈に縁のある皆サンには、特に若いうちに知ってほしい。私は20年前の学生時分からこの辺に来てますが、さっささっさと、通り過ぎて来ただけだったのを今とっても悔やんでる。

東京のど真ん中にだって、当然庶民の暮らしがあることを想像出来ないってのは、ん〜、電車通勤のよそ者の、せせこましい見方なんでしょうナ。

有文堂書店と路地一本挟んで、現在日大7号館の敷地の辺りには静観堂書店という新刊書店だった。『雪之丞変化(ゆきのじょうへんげ)』などで知られた戦前の小説家、三上於菟吉(みかみ おときち)の兄が営んだそうで。

私が10年前の旭屋書店水道橋店跡を思っておセンチになってるなんてカワイイもんだ。

んで、住宅地図に目を戻しまして、有文堂を基点に波状に目で追います。

出てくる商売の数々。パチンコホール、法律事務所、文具店、洋服店、質屋、うなぎ屋、酒場、食堂、麻雀、帽子店、印刷所、製本所、運送屋、喫茶店等々。八百屋も肉屋も、魚屋も、銭湯も学校も病院も神社も教会も、生活のほとんどがこの界隈、三崎町でそろった時代が、地図上に遺されている。

住宅地図っていうにふさわしい。2016年版への変化、変貌は、かなり露骨なもんです。

「無かったのは火葬場くらいのもンだ。この町を出なくて一生過ごせたんだから」。

木下さん、昔をおどけて見せた。

(つづく)

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〈2017年5月配信!〉
神田三崎町と有文堂書店の100年。
── 店主・木下長次郎さんにきいた思い出ばなし。

文責・板垣誠一郎

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

「東京のむかしと本屋さん」編集部 メール tokyomukashi@gmail.com