第9回
歳月の気概(1)
木下サンと女将さんが入籍したのは東京オリンピック(1964年・昭和39年10月10日〜10月24日)の翌月のこと。店の舵取りを先代よりいよいよ本腰入れて任されました。
すでに神保町では古本まつりが千代田区長・遠山景之のバックアップと、岩波書店の協力のもとで始まっておりました(第1回は1960年10月28日)。
さァさァ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ここに集めた逸品は、神田に通う学生ならば一度は読みたい著作の数々がズラリ。日大、歯科大、専修大、御茶ノ水なら明治大。貴校先生の御推薦、単位獲得うけあいのモンばかりぃ。皆様の益々の勉学向上ご発展、諸々祈願いたします大学教科書の揃い踏みィ!
こんな口上言うはずございませんが、有文堂書店で先代が店番するあいだ、壮年ばりばりの木下サンが出向いた古本まつりの店口上、きっと名調子だったのでは‥‥。目にした手にした財布を出したらもう最後! さぁ買った買った!──なんて想像ばかり述べてもいけませんが、「古本まつり青空掘出し市」はこれ以来大盛況で歳を重ね神保町の一大イベントになる。
客のリクエストがあれば、これまた店番を先代にお願いしまして木下サン、都電や地下鉄、国電、時に自転車にまたがりまして、本探し。いざ早稲田や新宿、池袋、渋谷、遠くは高円寺や荻窪の古本屋まで出向きましては買い付けに(業界用語で「せどり」)コツコツ勤しんだわけです。大学のあるところにしっかり古本屋が商売をしていたっていう思い出話。
ところで、大学の教科書の話。いわゆる先生方のお書きになられた著作は、有文堂書店でもよく売れた。教科書ですから近くの大学キャンパス向けに法律や経済の硬い本が多いわけで、当時は有文堂にもそういうのも占めていた。いま店内に目立つ落語や歌舞伎といった読み物は、さしずめ大人の教科書‥‥といったところでしょうかね。
木下サンと女将さんが一緒になった頃には、お店はすでに50年になってたンですから、商いの秘訣を先代から受け継いで時代の波を越え続けてそれから50年。たして100年。
嫁いできた女将さんのことを木下サンは「ミス・屁っころ谷だったんですがね」とジョークで前置きしてから、「苦労させたんだ。都心でうちくらいだろう? こんなに貧乏なのサ。どっかで表彰してくれないもんかねエ」なんて、結局は冗談で締める。そのお二人も夫婦になって50年越えですよ。すごいなぁ。
新婚間もない1965年(昭和40)当時の三崎町界隈の地図をお見せすると、しみじみ「昔は、みんなこんなに(いろいろとお店が)あったのに、なくなっちゃったもンね。ぜんぶ大学に変わっちゃった」。買い物に行くにも何しに行くにも、大概はこの界隈で済んでしまう。(ちなみに木下サンは今でも銭湯通いとのこと。この辺にまだ風呂屋があるんですねぇ。)
‥‥昔に比べたら沢山のお店が消えてしまったわけですが、でもね、その反対に三崎町から全国へ広がったお店も教えて下さいました。「床や」「やるき茶屋」の名で知られる居酒屋チェーン「大床」。有文堂書店からすぐの横丁にも大庄水産水道橋店がございますが、ここが出来る前から木下サンたちにはなじみの料理屋。かつて町会のお祭りには仕出しに職人たちが腕をふるったんだそうです。
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参考文献:
- 『東京古書店組合五十年史』小林静生/編集責任、東京都古書籍商業協同組合/発行、1974年
文責・板垣誠一郎
〈2017年5月配信!〉 神田三崎町と有文堂書店の100年。── 店主・木下長次郎さんにきいた思い出ばなし。
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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