第9回 日本近代文学館への献本
映画の西部劇ヒーローさながらにウエスタン帽をかぶる本の配達人が写る写真。これは昭和45年(1970)4月7日に新宿区富久町辺りの靖国通りで撮影されたことが添え書きされていたのを見つけて、この道沿いを通勤で歩くのが日課の私はようやく品川力さんにお会いできた気持ちになりました。
不思議なもので、以来この辺りにさしかかる度に、品川さんの面影を想像します。翼を広げた本郷のペリカンが、本の入った大袋を首からさげて東京の方々に舞い降りるシーン‥‥。
さておき自転車ですが、この乗り物は歴史を振り返るともともと運搬重視に造られてきた経緯があり、写真の自転車(「丸石」自転車)もそうしたタイプなんですね。本をつめた大箱を後ろに乗せてペダルをこぐ姿は、今でこそ軽量化に秀出たタイプに慣れている者からすると大変そうですが、むしろ重たい物を運べる便利な乗り物を品川さんは使って出かけていたととらえる方が適当のようです。
この写真の時で66歳。それからさらに12年後の昭和57年(1982)の朝日新聞・天声人語で「七十八歳になるいまでも、品川さんは週に一度か二度、本郷から駒場の日本近代文学館まで、自転車に乗ってやってくる」と出て、その存在は世間に広がります。
一緒に暮らす次男の純氏が、この記事が出るや職場の人たちから「お宅の父君では?」と次々訊ねられて、ちょうど刊行された品川力著『古書巡礼』が100冊近くさばけたのだそうです。
日本近代文学館が昭和38年(1963)に創立記念として開いた「近代文学史展」以来、上野から駒場に移ってからも、83歳の時まで、自転車で現れては資料を寄贈し続けたのです。
「そのつど十冊から五十冊、六十冊が持ちこまれる」、「館の資料の弱い部分、館に欠けていて無いものを、せっせと埋めて下さっている」と、当時の理事長・小田切進氏は記しています。日本近代文学館所蔵資料目録の17番目は「品川力文庫目録Ⅰ特別資料編」で、品川さん自身の原稿はじめ、上田敏、内村鑑三、式場隆三郎の原稿、品川さん宛の書簡には青山光二、荒畑寒村、伊藤整、織田作之助、串田孫一、杉浦明平、松本恵子、山崎正一、吉野秀雄等々が所蔵されています。
次男・純氏も「本の配達人」の姿をこう振り返ります。「父の持論で、貴重な文献類は自分一人で死蔵せず、また散逸しない為にと、せっせと目黒の近代文学館に自転車で運んで寄贈をしていました」。
品川力さんは明治時代に生れ、父に導かれ上京した後に関東大震災に遭い、職を移りながらレストランを開き、ついに古書店を営み出すまでの前半生は、歴史年表に重ねると日本が他国との戦争をしていた時代にあたりますが、品川さんが公にした文章を読み返してみると、軍国下での生活の重苦しさをあえて避ける言葉を選んできたかのようにも感じられます。
「世の中に本代ほど安いものはありませんよ」と品川力さんが敗戦後のある日、友人の串田孫一さんに宛てた手紙の一文が私には胸に迫ります。
日本近代文学館を訪れると、都心の中にある静寂に気がつき、本の探求、配達に苦労を惜しまなかった品川さんの思いに少しだけ近づける気がします。
読書をする時間は、自分とただ向き合う時間です。文字面に込められた思いを感じ取るるための感性は人それぞれで違うでしょう。だけれど、たった1行の言葉にそれまでの悩みや行き詰まりが突破できる時もあります。どうしても人はつまずくものです。その度に手近にある本は、何も言わずに自分に向き合ってくれるでしょう。
(つづく)
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文責・板垣誠一郎
参考文献
・朝日新聞「天声人語」1982年6月19日付
・小田切進「文庫・文学館を歩く67 日本近代文学館・品川力文庫」東京新聞 1981年9月14日付
・日本近代文学館編『日本近代文学館所蔵資料目録17 品川力文庫目録Ⅰ特別資料編』財団法人日本近代文学館、1987年
・(図録)『第34回企画展 本の配達人 品川力とその弟妹』柏崎ふるさと人物館、2013年
・串田孫一『日記』実業之日本社、1982年
・佐野裕二『発明の歴史 自転車』発明協会、1980年
参考メモ |
自転車の歴史を体験するには東京・目黒駅に近い【自転車文化センター】がオススメ。歴史的な自転車の展示、多くの関係資料、丁寧に解説をしてくださる専門員がいらっしゃいます。http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/
〈2017年3月配信!〉 ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。── その思い出を聞く。
- 第1回 本の配達人が住んだ町
- 第2回 本の配達人の弟と妹と
- 第3回 横丁へやってきたペリカン
- 第4回 もう一人の妹
- 第5回 物静かなサービスマン
- 第6回 私は本郷のペリカン書房の品川力であります。
- 第7回 お店の風景
- 第8回 貸本と夜店の古本屋
- 第9回 日本近代文学館への献本
- 第10回 本郷のペリカン
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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