[本郷・東大赤門]ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。(第7回)「お店の風景」

第7回 お店の風景

古本屋といえば店先の棚やワゴンに1冊が100円とか2冊まとめてとかで安売りをされているのが嬉しいところ。砂ボコリや日焼けでくたびれ切った文庫なのに、私にはぴったりな読み物が見つかったりもする‥‥。わずかな小遣いでも古本屋さんであれば、本を選べる楽しみがあります。

ペリカン書房にも、店先には安売りの棚があったのだそう。キリスト教や哲学思想とかカタいものばかりに限らず、一般向けも置いていたというわけで。お店の棚といえば、すでに処分されていましたがガラスケースの棚が置かれ、そこには貴重な類が入っていたとうかがいました。

店内の様子を記録にあたりましたら、だいぶ時間をさかのぼりまして日本敗戦の翌年、昭和21年(1946)のこと。

レストランからの常連客でその後も交流の続く串田孫一んに宛てた手紙に、品川さんは「あなたの私家本結構です ペリカンのショオケースが引立つことでせう。」と記していますが、ショーケースがガラスケースのことだとしたら、ペリカン書房と縁のある作家の本も陳列していたのかも知れません。

串田孫一さんは空襲で家を失い、家族とともに山形の農村へ疎開していました。その間、手紙を通して交流を保っていた一人が品川力さんでした。この時代の様子は『日記』と題して後年に公刊され、私たちは読むことができます。

串田さんが手がけた本のポスターを横丁の電柱に貼って宣伝したり、支払いの話は控えめにどんどん串田さんの仕事に役立つ本を探す品川力さんの様子や、今では有名な出版社みすず書房の編集者・小尾俊人さんが串田孫一さんに企画を依頼するため品川力さんに仲介を願っている話、弟の品川工さんに社のマークを依頼する話が出てきます。

【写真】品川力さんのアルバムに残されていた串田孫一さんと写る一枚。(提供・品川純)

また、妹の約百さんと夫人の律子さん(昭和18年結婚)の二人がペリカン書房前で「オヤツ(オサツを材料にしたキンツバと、外に肉(ミート)と甘い菓子の三種類」を販売して、本の売上よりもよかったと品川さんがしたためています。

落第横丁で戦後の大変な中で生活のために家計を支えた女性二人の姿を知る貴重な証言ですし、レストランを知ってる人が買いに来て「懐かしい」とか話していたかも知れませんね。

今回思い出話を語って下さった純氏は、敗戦から2年後に品川家の次男として誕生。

子ども心に思い出すペリカン書房の日常をうかがっていると、品川力さんが自転車で配達に出る間は店番をする母・律子さんでしたが、もともと神戸で学んだ洋裁の腕で横丁界隈の人たちに服を仕立てて評判のよい内職もしており、純氏からすれば叔母の約百さんは品川家の料理番として腕をふるっていたのだそうです。お客のいない団らんの時には、よく甘味を楽しんだのだそうです。

夜更けには、遠くから列車の音が届いたそうですが、品川力さんが読書や原稿書きに時間をとっていました。

(つづく)

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文責・板垣誠一郎

  • (図録)『第34回企画展 本の配達人 品川力とその弟妹』柏崎ふるさと人物館、2013年
  • 串田孫一『日記』実業之日本社、1982年
  • 宮田昇『小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃』みすず書房、2016年

〈2017年3月配信!〉
ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。── その思い出を聞く。

 

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

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