連載◎[港区・赤坂]赤坂のヒナ探し 第6回 赤坂の兵営

シェットランド・シープドッグ(シェルティ)はお店の看板犬だった「ヒナ」。 写真提供・金松堂書店 西家嗣雄さん

第6回 赤坂の兵営


「何だろうネ、このR1・08・20ってさぁ?」
「令和でしょ」
「あ、そうか」

すでに3か月も賞味期限をこしたヨウカンを手にしながら、ことし5月から始まった日本の和暦、令和を思うのであります。

昭和から平成の時には小学生でした。1989年1月7日までが昭和64年に数えられ、8日から平成にされて行ったのをよく覚えています。

あの時なら、R1に敏感になれたのかも知れません。すでに40代に入って数年の中年男。R1が何のことかピンと来ないことがミョーに寂しくなるこの週末。テレビの向こうで、その令和を祝う即位祝賀パレード中継が放送されていました。

詰めかけた人たちがスマホを頭上にかざしているのは今どきなンでしょう。ルート後半に首都高が映ってきて、パレード以外の車両が見えない。「ひゃあ!」 このところ赤坂見附のあの辺りを歩いてきたので、パレードのための規制の影響を感じます。

歩道橋からみえる赤坂見附交差点と首都高

青山通りの赤坂見附から青山一丁目までは、商業ビル並ぶ赤坂の街の側とは対照的に緑豊かな赤坂御用地のある元赤坂の側の眺めは、場所柄、むかしの東京を思わせる一帯でしょう。

昭和のバイプレーヤー・殿山泰司さんの書き残したエッセー『三文役者あなあきい伝』の中で、この大通りを駆け足する場面があります。

兵隊のかっこうをした20代後半のトノヤマさん。他の兵隊と一緒になって「砲」を走って運ぶ。う〜ん、「砲」ってのがどういうものか、正直私めは判りませんが、軽くない!ッてのは文面から分かりました。

沿道に好みの娘が歩いていてもお尻を見る気になどなれず一心に突き進む。鬼気迫るトノヤマさんであります!

これは映画のワンシーンではありませんで、実際に経験したこと。旧日本陸軍の兵になった時の一節。

トノヤマさん、1942(昭和17)年に二度目の召兵を受けます。集められた先が赤坂でした。兵営と言って、兵隊が居住、生活した場所が赤坂にあった‥‥と言われても、中年の私めですらピンと来ない遠い時代のこと。

そうした記憶の風化を防ごうと、色々な立ち場から伝える場所が港区にもあります。

私めが見つけたのは、青山一丁目交差点から近いビルにある港区赤坂図書館、赤坂の街から離れますが東京タワーには近い区立みなと図書館、それと白金台駅からすぐで、かつては国立の「公衆衛生院」だった建物を改修して用いられている港区立郷土歴史館。

これらに足を運んで見ますと、軍隊とともに生きた地域の近代史について今も垣間見ることが出来ます。

郷土歴史館の常設展で、赤坂一ツ木通り接する場所に赤レンガで3階建ての軍施設(近衛歩兵第三連隊)があったことと、その場所には戦後(昭和30年、1955年)に「ラジオ東京」が移転して来たこと。それが現在のTBSですよとの紹介を目にしたのが今年の春でした。

不思議と、少年だったころから近年までラジオの向こうから聞こえた永六輔さん、小沢昭一さんの声が思い返されました。

永さんたちは少年の目で戦争を見た。その記憶を折にふれてはラジオから発信されていました。その発信場所、TBS赤坂の土地の記憶を、私め、ようやく思い知らされたのです。

永さんたちより一世代上のトノヤマさん。戦場から還ってきて役者業を再開しましてから人生の後半期に軽妙でクセになるエッセイを書いて人気を得たのは何度もお伝えした通り。その文筆をしたのは兵隊に集められた兵営から遠くない赤坂一ツ木通りから入った小路の住まいでした。

そこに何があったのか。その後に何ができたのか。街を見る目が変わるものです。

(つづく)

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文責・板垣誠一郎

参考文献
・殿山泰司/著『三文役者あなあきい伝 PART1』角川書店、角川文庫、1980年


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2019年9月配信開始!
赤坂のヒナ探し

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

「東京のむかしと本屋さん」編集部 メール book@shahyo.com