[港区・赤坂]赤坂のヒナ探し 第5回 赤坂の三文役者(2)殿山泰司さんと一ツ木通り

シェットランド・シープドッグ(シェルティ)はお店の看板犬だった「ヒナ」。 写真提供・金松堂書店 西家嗣雄さん
シェットランド・シープドッグ(シェルティ)はお店の看板犬だった「ヒナ」。 写真提供・金松堂書店 西家嗣雄さん

第5回 赤坂の三文役者(2)
殿山泰司さんと一ツ木通り


40年前のエッセイの中で、トノヤマさんは赤坂に暮らしながら役者の仕事を続けていました。書かれた当時の赤坂を想像しながら、人通りの多い一ツ木通りの途中で横道に少し入るだけでも愉しく、意外にも静かで、民家らしき建物にも古びたものが目にとまります。

どこかで今日もミステリー小説のページを〝ピラピラ〟とめくり物語の展開に〝ヒヒヒヒ〟と笑みをこぼしているトノヤマさんの姿を思い描くほどのですが、実は私め・・・、役者・殿山泰司の出演作を語るほど詳しくありません。タハッ!

なのに・・・。その顔つきや目つき、台詞をはくその声を、少年の頃によくテレビの向こうのドラマや映画で観ていた、という印象だけは強いのです。

金松堂の常連の一人であったことから殿山泰司を知ろうと本を探しました。映画監督の新藤兼人さんの書かれた『三文役者の死 正伝殿山泰司伝』を見つけ、特別ひいき目で読むことはなかったのがかえって幸いしました。役者・殿山泰司がいかに存在感のある演技を続けてきたかをようやく知りました。

監督としても友人としても親交のあった新藤さんが書名にわざわざつけた〝三文役者〟。トノヤマさんご自身が自著に用いられていますが、これに込めた思いには、時代の雰囲気というか、空気が伝わって来ます。私めも子どもながらにその時代に生きていた実感、懐かしさが少しあるンです。

昔はよかった、今は厭だと言いたいのではありません。今の東京を歩く上でとても役に立つヒントが東京の昔に見つかることがあります。

金松堂に本を探しに訪れた時のトノヤマさんは、役者というよりミステリー小説とジャズの大好きな中年のお客の一人であったと思います。

エッセイの中に書かれる赤坂一ツ木通りには、新刊書店の金松堂の他にもトノヤマさん行きつけが2軒ほど出てきます。

まずはコーヒーを出す「一新」。こちらジャズのレコードを流すンでトノヤマさんのお気に入りらしくエッセイに度々登場します。マスターとのやりとりも見所だったりもします。

金松堂の西家さんから、現在の赤坂サカスの入口付近に「憩」(いこい)というジャズ喫茶があったという話も聞きました。ちょっと風景が変わりますね。

一ツ木通りに出てくる定番の3つ目は、川村書店。こちらは古本屋です。同じく本や雑誌を扱う本屋さんでも、新刊書店と古書店とは全く別の業態ですが、買う方にしてみたら新刊や流行物の一方で小銭1枚でも買えちゃう古本も嬉しいもの。

トノヤマさんも川村書店に寄って〝ひやかし〟たり、思い出した小説を探したりするようすを綴っています。

日本が戦争に敗れた1945年から3年ほどが経った頃の東京都港区の商工業者の記録をひもとくと、〈書籍雑誌小売〉の店として金松堂があり、〈古書籍小売〉には川村書店が見つかります。

ともに所在地は「赤坂新町」という今では消えた旧町名です。

金松堂の代表者は現在店主の祖父であり、お店を一ツ木通りに出したご本人の名前がありました。

トノヤマさんがジーパン姿でブラブラしながら立ち寄っていたとエッセイに綴っていたのが1970年代ですから、新刊書店の金松堂も古本屋の川村書店もともに一ツ木通りで長いこと営んでいる町の本屋です。

古書店の所在地だった場所には現在本とは関係のない業種の店が営業しています。(つづく)

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文責・板垣誠一郎

参考文献
・新藤兼人/著『三文役者の死 正伝殿山泰司』岩波書店、同時代ライブラリー、1991年
・殿山泰司/著『JAMJAM日記』角川書店、角川文庫、1983年
・『港区商工名鑑』東京都港区役所、1953年



2019年9月配信開始!
赤坂のヒナ探し

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

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