東京から離れた神奈川県相模原市の南端、小田急相模原駅からほど近い二の橋書店。県をまたいで今回は、下町に端を発する3代目店主・田中領さんからうかがった思い出を手がかりに、文芸の町・東京探しに参ります。第7回は「浅草の俳書室(1)」。
第7回
浅草の俳書室(1)
俳句がらみで話を続けます。
俳句の楽しみ方といったことは専門の方にお任せするといたしまして、肩に力を入れずにですねネ、お店と縁のある俳句の話を申し上げます。
次は、初代・田中よし雄さんの作。
春 光 や 一 人 な を 行 く 後 影
(しゅんこうや、ひとりなおゆく、うしろかげ)
これ、よし雄さんが実の母の88歳、米寿のお祝いに詠んだもの。
上野の精養軒に用意された貸席に、よし雄さんたち田中家の親戚一同が集まった日がありました。後の3代目・領少年も加わり、おばあちゃん(曾祖母)の長寿をみんなで祝った。
その折に、記念の品として配られたふろしきに先の句《 春 先 や ひ と り な お 行 く う し ろ 影 》が描かれたのでした。
歳を重ねても、おばあちゃんは散歩好き。一人、心地のよい春先、でもまだちょっと肌寒くもあり、着物に羽織を重ねて杖ついて、浅草寿町(現在は台東区寿)の住まいを兼ねたお店から出かける。
「買い物ついで、ちょっとそこまで行ってくるよ」
「いってらっしゃい。気をつけて」
棚の整理でもしながら老いた母を見送るよし雄さん。ふっと気がつく、母の後ろ姿の影法師。
浅草での営みの日常を切り取って、米寿の祝いを詠ったふろしき。親戚みんなほっこりしたンでしょう。
──よし雄さんは、俳書(俳句の関連書)をお店の売りにしていたし、俳人であった。ならば自分の句集も作ったのでは?
──常に懐に手帳をもってしょっちゅう頭をひねってました。句会にもよく行っていた。台東区俳句人連盟の3代目会長だったことはお話ししましたね、朝日新聞だと思いますが、「ひと」欄に出たこともあった。けど、句集は作らなかったですね。
──どうしてでしょう?
──古本に回ってくる句集を長年見てきた祖父です。本の成り行きというのか運命を、当人よく知っていたからでしょう。句集の函は、遠くのお客さんに送品する時の保護ケースにしてしまうし。
浅草に移ってからの二の橋書店は、新刊書を扱う「田中書店」を屋号にして、お店の奥に「俳書室」と呼ぶ従来の俳句専門棚の一角(二の橋書店)があったそうです。
最近でこそ、大型の新刊書店でもイベント的に古書を扱うのを見かけます。実際の流通が異なるのですが、本を求める客からすれば新刊であれ古書であれ、専門的な品揃えはありがたい。
新刊書店「田中書店」は、すでに2代目の貢さんが担っていたそうですから、初代よし雄さんは「俳書室」の品揃えを気にしながらも、俳人としての時間を大切になさっていたのではないかと思います。
前回引きました句《 閑 な 手 と な り 花 び ら を 溢 れ し む 》の閑な手というのは、お店を2代目に任せるようになった頃にでも切り取った印象なのかも知れませんねぇ。
ところで、浅草のお店に俳書を求めて色んな方たちが訪れました。
俳人として知られる楠本憲吉、石田波郷。落語家では三遊亭金馬(3代目)、桂枝太郎(2代目)。落語や歌舞伎の評論家、安藤鶴夫。
来店した方が「俳書の部屋はどちらですか?」と訊ねてくるので、「ウチの奥です」と応えたら、いったん店の外に出て壁の前でずっと待っていた方もあったンだそうです。どこかのんびりとした、二の橋書店(田中書店)の風景が偲ばれます。
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メモ 現在の台東区寿(ことぶき)1〜3丁目は、昭和39年(1964)10月1日から始まった住居表示。明治に入り、江戸時代の地名を再編して明治3年(1870)9月より「浅草寿町」となり、昭和9年(1934)6月に町域を広げた再編があった。100年近く続いた住居表示の変更が住民に与えた関心の高さを伝える書籍が刊行されている。(参考:『江戸浅草町名の研究』小森隆吉著、叢文社刊、1984年刊。『旧町名下町散歩』台東区、1990年刊。)
紹 介
古書 二の橋書店
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文責・板垣誠一郎
〈2017年8月配信開始!〉 東京へやや遠くなりぬ 二の橋書店 ── 3代目・田中領さんにきいた思い出ばなし
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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