6月1日は月曜日のことし2020年。ようやくの思い胸に秘めつつ本郷三丁目交差点の角口のビルにある古本屋、大学堂書店に向かいました。この2か月、歩道から消えていた看板が出ていて、ほっとしながら奥へと向かいます。
花屋さんもカレー屋も、居酒屋も散髪屋も、そして大学堂も営業をしている昼時です。
平日いそいそ上京しては仕事をさせもらって20年近く、ビョーキをしたり、仲たがいしたでもないのに、ふた月も行かなかったことはない。お店の目印の夏目漱石のレリーフが今日はピカピカ輝いて、近づく私に「来たか!」って言ってくれてるようです。
12時も半ばを回り、店番はおかみさんでした。ご健在!・・・やや失礼を承知で申し上げれば、ワレワレが(勝手に集団じみた言い方ですが)心配したのは、おやじさんよりおかみさんのご様子で・・・。「私なんてお嫁に来た翌日からここ(昭和の半ば、東大正門と本郷通を挟んで営業していた大学堂書店の本店)で働いてきたけど、休んだことなんてなかった。この歳になって2か月も休むなんて・・・」
ワレワレには喋り手で有名なおかみさん。実は照れ屋なンだそうで、ことしの春先にNHKBSで放送された『新日本風土記「東京大学」』では大学堂書店にも取材が来ました。当時の様子を語る地元の語り部として出演されたのは、おやじさん(横川泰一さん)の方でした。「ワタシ、ああいう取材とかは出ないのよ。だって、何を言うか分からないじゃない?!」茶目っ気たっぷりに放送前にお客へ話すおかみさんでありました。
画面に映る横川サンとお店の書棚は本郷三丁目店として35年の営業で培った商いの歴史でピカピカ輝いているようでした。二人三脚でもう少しがんばろう・・・って、ことしも大学堂の営業継続がワレワレ客に伝えられた矢先での世界を覆ったコロナ禍。
参考 新日本風土記「東京大学」 2020年3月27日(金) 午後9時00分(60分) https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1867/2148263/index.html
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突如として感染症の恐ろしさ、それによってもたらされる社会と経済の混乱。これらを一挙に押しつけられるものですから、何が何だか今もってどうしたらよいかワカラナイことばかりです。
通勤電車やコンビニでの疑心暗鬼ぶりが前より格段に増したわが身を感じ、歩けば目に入る野鳥のスズメやハト、カラスたちがミョーに活き活きとして見えたりする。
電車の窓は喚起のために開けることになったわけですが、いよいよ梅雨じみても来て、先週など強めの雨模様。明らかに車内に降っている。そんな状況でも閉める気が起きない。ちょっとは閉めましたよ。でも3センチは残しました。だって怖いもの・・・。
おっとと、話がソレました。
2か月ぶりの大学堂には、私と似たお年頃の中年男が他にも立ち寄っていました。「密になるほど、ウチは混みやしませんよ」って、おかみさんのジョークが聞こえる。「ウチのひとは、店は開けられないけど、本の整理に来てたのヨ」とも。少しだけ気が緩みました。
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本郷三丁目の交差点は「本郷もかねやすまでは江戸の内」なんて歴史のメルクマールで有名です。実は実は、かねやすの向かいの交番もけっこうな古さのようで、大正期(1912~1926年)に本郷っ子であった作家が「東京には無数と言ってもいいほどの交番があったが、私たちは銀座の尾張町の交番と、本郷三丁目の交番が一番有名だと思っていた。そして、本郷の道しるべの基準は、一高(第一高等学校)と赤門と三丁目の交番なのであった。」と記してるくらいの生き証人といえます(玉川一郎著『大正・本郷の子(シリーズ大正っ子)』青蛙房、1977年刊)。今こそ本郷三丁目の語りべにここ大学堂書店も加えたいと思います。
今日の東京には、語りべのようなお店に行かれた方も多くあったのではないでしょうか。久しぶりにお店がやっていた嬉しさ。救われる気持ち。この思い出深い日を心にとどめ、仕方ありませんが、新たな感染症への警戒の日々を送りたいと思います。
文責・板垣誠一郎
こちらの看板が目印!
〈2017年2月10日配信!〉 大学堂書店と本郷三丁目交差点─店主・横川泰一さんにきいた思い出ばなし
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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