[文京区本郷]大学堂書店と本郷三丁目の交差点(第5回)三丁目交差点から見える過去

第5回 三丁目交差点から見える過去

売り上げが伸びなくなってきた目録販売をやめた頃に横川さんは本郷三丁目交差点の店舗に現在の大学堂書店を開きます。昭和61年(1986)。食品や生活品の小売店が集まるビルの1階の空間に、おかみさんの提案でワゴンセールを始めたところ大当たり。今の店舗をかまえることになったんだそうです。

(通り沿いには今もワゴンセール!)

すでに先代・精一さんはこの世を去って十年が過ぎていました。それと前後して、旧店舗はマンション建設のために立ち退きを迫られました。

大学堂書店が現在の場所で営み始めた1990年代は、僕も学生時代を過ごしていましたので思い返すと、本や雑誌、新聞を買うことはごく当たり前で、町には必ず新刊を売る書店と、それとは別の古本屋さんがあって、特に古本屋さんの店先には、100円などの廉価本を入れたワゴンがありました。僕はそれの常客でした。

いつの間にか西暦2000年を通り過ぎて、本や雑誌、新聞のとらえ方が次第次第に変化して行ったように感じます。書店や古本屋が姿を減らして行くのを目の当たりにすることが増えました。

──ある日突然、それまで沢山買ってくれていた常客からもう要らないといわれました。古書組合では、善後策を練ってインターネット販売に取り組みだしたのですが、ウチはまだまだ本の売れ行きはよかったからね、そのままを通したんです。パソコンやインターネットに振り回されるのが好きじゃないしね‥‥。

新しい技術が生活に浸透して行くのは僕も実感が持てます。かといって、本の置き場所が減って行くのはとても寂しい。

 

ところで、横川さんからは、本郷三丁目交差点から見える景色の変化のことも証言して下さっています。いくつかお伝えします。

まず、本郷通りを走っていた都電。昭和46年(1971)3月までは、この辺りだけでも「本郷三」「東大赤門前」「東大正門前」「東大農学部前」「本郷追分町」「蓬莱町」「本郷肴町」の細かい停留所が続いていて、生活に役立っていたそうです。

続いて、地下鉄丸の内線の本郷三丁目駅開業。昭和29年(1954)1月に池袋から御茶ノ水間の営業が始まります。すると東大生の流れに変化が起こります。駅寄りになる赤門からの出入りが多くなり、正門からの流れが減ったのです。この傾向は今も感じられます。

(東大赤門)

そしてお話を聞けて一番ありがたかったこと。

1945年(昭和20)3月10日、東京大空襲の記憶。

実は大学堂書店は横川少年たち家族の住まいでもありました。店舗と住居を兼ねていたそうです。空襲の恐れから、居間の畳の下には身を隠すための穴が掘られていたそうです。市電も走っていた本郷通りを挟んで、東大側の所々には町会などが作ったと思われる防空壕があったといいます。

爆撃は、東大(帝大)を避けるように、今の本郷三丁目交差点あたりも焼けたそうです。

少年だった当時に見た、今の本郷三丁目交差点あたりの光景について。

「石造りの五階建ての赤門ビルから火の粉が焼け落ちるのが目に映っているわけ‥‥」

交差点から、上野浅草が見えたといいます。

今、交差点からは晴れるとスカイツリーが分かります。

(東大の本郷通り沿いの塀)

(つづく)

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文責・板垣誠一郎


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〈2017年2月10日配信!〉
大学堂書店と本郷三丁目交差点 ─店主・横川泰一さんにきいた思い出ばなし

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

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