去年の8月に亡くなった木下サンは、神田三崎町で80代の大台まで古本屋を営んでいらした。お店は水道橋駅に近く、白山通りに面した所にあった。店先に並ぶ品物は毎度出し入れして積まれていたので、少々のホコリで汚れてはいても風通しのきいた新鮮味があった。数冊組みの品はビニールひもで結われて、一緒に付けていた値札がこれまた目立った。マジックで短冊いっぱいの字は自由に流して書いてあり、まるで見えを切っているようだった。
私は古本屋でも新刊書店でも自分に身近な著作のコーナーをまずは探して見つかれば一安心する。木下サンの店でいえばその棚はちょうど番台にすぐ近くなので、どうしてもお愛想の1つも口にしないと落ちつかない。慣れないうちは頭に浮かぶ書名や著者のものはないかと尋ねては「ないッ」と突っぱねられた。
虫の居所でも悪いのか「ウチにあるのは紙くずばかりですよ」と言われたことがあった。そりゃたしかに売れなければ本は紙くずですけれど…ノドまで出かかるのを我慢しながら愛想笑いをしたものだ。なにより値札の字が紙くずに箔をつけていた。店主のご機嫌が悪そうでもまた来たくなるものだった。
落語や歌舞伎、映画の本が目立っていたので、こちらも40年近く生きてきてオボロゲながらも頭の片隅にある記憶と、いま目にしている棚の中の本とを照らしては選んで番台に差し出す。すると、木下サンの方から何かしら反応がある。「この役者はすごかったねぇ。」というや舞台か映画で見たセリフをうなる。よっ名調子! こちらも調子に乗って微笑んでしまう。
名立たる歌舞伎役者を囲んでの宴会の写真には、まだ若い木下サンが座の後ろの方に並んで映っていた。その役者の語る歌舞伎の話を扱った新書『歌右衛門の六十年 ―ひとつの昭和歌舞伎史』(中村歌右衛門、山川静夫著、岩波新書)をすすめてもらった。歌舞伎への関心を私は木下サンのお店を通じて少しずつ増やして行った。ようやく歌舞伎座で観劇してその芸能の魅力に見せられたのは、すでに木下サンは他界した後のことだったのがとても悔しい。
木下サンのお店は日本大学が近い場所柄なので、学生向けの教科書をよく売っていた時期が長かった。大学の教科書は先生の著作だから古本に流れたものを翌年にも使えた。だんだんとそうした販売のチャンスは減ってしまってからは芸能の本が増えていったらしい。
日本大学で学生運動が激しかった時の話も聞いた。その頃は白山通りにも路面電車(都電)が走っていた。騒動の折には都電の路面の石をひっぺ返されてしまい電車が走られなかったと聞いたが、まさかと思った。後に当時の写真を見つけた(毎日新聞社刊『戦後50年』)。路上に路面電車のレールが判る。学生と思われるたくさんの男たちが同じ方向に向かっている。先に何があるのか。写真の解説から判断するには機動隊のようだ。暮らす町が騒動に巻き込まれた。オカミサンは子供たちの送り迎えのため回り道をしていたものらしい。当時の大変な状況を察した。
そして昨年7月。お店が休業ばかりになった。シャッターに貼り付けられた店主の一文があまりに元気な字なので再開を信じた。「暫くお休み致します」。ここでもやはり見えを切っていた。店主は戻ってはこなかった。しかし、ここを知る客はまだ近くを歩くたびに木下サンを思い出している。いよッ、古本屋!(2021年7月記)
文責・板垣誠一郎
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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