土曜日のお昼になった頃でした。駅から歩いて少しのところにある古本屋さんなのですが、そこのシャッターが久しぶりに上がったのです。
実に昨年の夏以来の開店です。休日ではありましたが一目その様子を見たいと思い出向きました。
ガラガラガラ―ッ。
小柄なおかみサンが上げるシャッターの向こうに、古本屋の店内が公開されました。一度に日差しを浴びる本。棚に並ぶ一冊一冊の本の背はどれも書名はもちろん文字の形や紙の色が違いますから華やかなものです。
ちょっとした感動を覚えました。店先の歩道にたたずみながらそうしていられたのはこの日が休日であったことが幸いしました。
どうぞどうぞ。おかみサンに促されましてこの日の一番客になった私。一番客は思い返せば初めての経験でした。
お店を開く時間に店先を通りかかった記憶はあります。
平日ですから仕事の用事で自転車か徒歩かでその界隈を通りかかる。
開店準備はおかみサンと一緒の店主の木下サンが、だるまのような体つきでどこか面倒そうにのそりと動きながら準備を続ける。こんにちは。一声ご挨拶をすると、お、集金かいなんて冗談を返すようなところは、店主のお人柄。お見かけした頃すでに御年八十代でしたから、お体はいろいろボロが出ていたことと思います。
その木下サンがこの世におさらばした昨年夏。それ以来、お店のシャッターが閉まったまま。
たてながにハサミできった厚紙にはマジックペンでひとこと「暫くお休み致します」と、お人柄をよくよく表す字体で書かれた紙がしばらく貼られていました。紙ですから風雨に弱い。それもいつしかとられていました。
以来あきらめの気持ちでシャッターの前を何度も通っていました。故人を偲ぶ気持ちはもちろんでしたが、それ以上に店先を通る度に心をよぎった思いは、どうしてここに立ち寄りたくなったのか? その問いは、今も現在進行形。
世相がコロナ禍で不遇で延々とし2年に届きかけた秋の入り口。お店に近い交差点で私を見つけてくれたのがおかみサン。
お体の具合はいかがですか、ええだいぶ良くなってきました、そうですか良かった、なかなかお店をあけられなくてね、仕方ないですよ、お店よりお体をお大事に。
年長に対する礼儀から申し上げていましたら、おかみサンから思わぬ発言が・・・。お店を久しぶりに開けようと思います、いつですか?、今度の土曜日に、そうですかぁ。土曜日と聞いて少々滅入りましたものの、これはおっとりがたなで駆けつけなくてはッ。この思いは当日朝も何とか私を奮い立たせ、休日にも通勤ルートの電車に乗るや、身を任せ、いざ水道橋駅。いざ古本屋、いざ有文堂書店。
店主が亡き後に残された本を売り切ろうと、おかみサンが家族の協力を得て、気の向くままに再開されています。新しい仕入れはしない。しかし再開の気持ちがともした明かりは小さくともしっかりと神田三崎町の一角に有文堂書店の姿を照らしています。
何となく沈んだ顔を想像していましたが、おかみサンの表情はマスク越しではありますが、つとめて明るい。お客の側から見えるお店と、身内の側から見えるお店との心境の違いがそこに横たわる。しかしそれはそれ。私はたまに通りかかる立場の見方しかできやしません。
店主去っても、本に張られた当人の書いた値札が棚を眺めれば存在する。それを目にすると客はいつもの古本屋さん、有文堂書店の何物でもない。この不思議。
棚には歌舞伎や落語、画家や芸術家、歴史や文学の本が昨年夏のままに並んでいました。本の街と呼ばれる神田古本屋の一帯の中ではここと似た収集分野のお店はある気はします。しかし、しかし。店主が選りすぐってきた年月を思って感傷にひたる客の私ですから、見る人が見れば手頃な値をつけてこの世を去った木下サンがニヤッと笑ってそうだと思う。
私はここ有文堂に足を向けるのが楽しかった。それはなぜなのか。木下サンやおかみサンの人柄と言ってしまいたいのだけれど、それだけではないとも思う。お店で見つけた本の中には学ぶものがいくつもあった。
思い返すと、木下サンはこちらの買う本にひとこと思い出を語ることがあった。それはすぐに理解できることもあれば知らない遠い歴史でもあったせいで、後々になってやっとわかることもあった。
おかみサンが再開をしばらく続けてくださる間に、もう少しこのことを考えていこうと思います。
文責・板垣誠一郎
有文堂書店 〒101-0061 東京都千代田区神田三崎町2丁目8−12
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
このサイトは、東京ゆかりの本屋さんからうかがった思い出や、地域ゆかりの本や資料からたどりまして、歴史の一場面を思い描きながらこしらえた物語を発信しています。なお、すでにお店の所在地・営業時間は取材時のものです。(東京のむかしと本屋さん編集部) 東京のむかしと本屋さん編集部 のすべての投稿を表示