年代物の建物はことし8月からシャッターが下ろしたままです。店主の書いた告知が貼られているのを盗み見るように通りすぎます。立ち止まるには店先の歩道が常に人の往来があるので邪魔になるだろうし、いざ立ち止まったところで、そこにはシャッターがあるだけです。
東京オリンピックの年になるはずだったことしの変事のせいで、休業する店は珍しくなくなってしまいました。ここも一度は営業自粛要請の世間の流れに応じて休んでいたので、こんどもまた自粛なのかと思いました。しかし前の時は東京都からの云々で休むと書いていたのを今回はまったく言い訳をしておらず、スラスラとした字でスパッと一言“暫くお休み致します”と、こうなのです。
そこが気にかかっていました。8月が9月になり、9月が10月。ずっとシャッターのままです。ついに11月に入った。4か月はさすがに長いように思われました。再開する気がうせてしまったかもしれないと勘ぐるように店の前を通ります。しつこいくらい、今日こそは再開してやしないかッて、期待して。
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しかし店主はとっくの前にこの世を去っていました。バイバイ、あばよッとでも言っている気さえします。告知の張り紙をした8月の中頃に逝去。それでもシャッターには店主の“暫くお休み致します”が貼ったままなのです。
お店はここ千代田区神田三崎町で戦前から続いてきました。店主は2代目で、先年ついに100年を迎えたと店内の柱にそっとこれまた味のある手書きで貼ってあったのを思い出します。
お店はJR水道橋駅からすぐで、同じ道沿いには他にも古本屋が今も数軒見つかります。その先には古本の街で有名な神田神保町に至ります。
店先の白山通りは片側2車線で車が常に走っている。かつては都電も走ったし、オリンピックのマラソンコースになるっていう話も出ていました。
その煽りで通りのイチョウ並木を伐採して景観を整備しようと行政が動きましたが、これに反対していた一人がここの店主でもありました。日本が戦争に負けて一から出直すその戦後復興のシンボルにイチョウが植えられたと店主から聞きました。
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お店は住居も兼ねたので2階の窓に洗濯物がぶら下がるのも見かけました。ビル建築が周囲にひしめく街の大通りに面していて、こうした生活感のある場所が今では物珍しくもあります。
店主が生まれ育って老いを迎えた神田三崎町には元々は地元住民が多く暮らし、祭りとなれば神輿を出して賑わった。それを店主はこう表現しました。
「ゴチャゴチャ住んでたもン」
たしかに戦後の住居地図を調べると屋号がひしめいていて、閉じられた感じの高い建物ばかりの今とは違った光景を想像出来ました。
いつしかマンションが目立つにつれて住民たちの交流は変わっていっても、昔ながらの町内会のつながりは残ってもいて、どなたかが店にちょっと顔を出しては店主と親しげに話すのを聞いたことがありました。
私は職場の帰りに立ち寄っては店主のご機嫌次第で始まる昭和の芸能の語りを楽しみにしていました。聞いていると、店内に積まれる古本にも自然と関心が湧いてくるというもの。ホコリをかぶった古典芸能の本には今に通じるエンターテインメントの妙が隠されているのを店主はよく知っていたのではないかと思います。
営業中のお店にはドアがないので、常に外と一緒の温度。「夏に暖房、冬に冷房」とこれまたおどける店主の声が懐かしい。
シャッターが下ろされたお店に貼られた “暫くお休み致します”。特に暫の字に店主の歌舞伎好きも思い出されます。町の本屋がその町に暮らしていたのを物語る場所でありました。
文責・板垣誠一郎
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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