浅草編 第5回 二の橋書店の目録『戦塵冊』結び

第5回 二の橋書店の目録『戦塵冊』結び

 

『戦塵冊』の最終号まで田中貢さんは冒頭の挨拶文に自身の戦争体験を綴り続けていました。

《私は戦時中、陸軍の軍属で立川飛行場にあった陸軍気象部立川観測所で気象の業務に従事していました。当時立川には陸軍補給廠があって補給の航空輸送の基地であった。そして飛行に必要な気象情報を提供するのが任務でした。天気図作成の為に、陸軍気象部本部より送られて来る暗号無線による全国の気象データを受信するのが日課でした。
戦局が悪化した頃には受信中に硫黄島守備部隊から悲愴の声で無線電話が飛び込んで来た。「弾薬が足りない、医療品も食糧が、燃料もない」必死の叫び声を…、何回も聞いた。制空権も失われていた敵地に飛ぶのは危険、自殺行為、でも送らねば…、支援の輸送機には帰りの分の搭載燃料を弾薬、医療、食糧に充てての片道飛行でした。玉砕覚悟の特攻隊でした。気象条件を聴いた上で、天気図を受取り「あとは君達よろしく頼むよ」と従容として敬礼していった、若い操縦士の姿、今でも私の脳裡に焼き付いています。》(戦塵冊 第十六集 2007年)

古書市場に貢さんが求める戦時資料の出品が少なくなってきたために次の目録の準備が大変になってきたことと、長年の疲れがしだいにたまって行き、目録発行のペースがかかるようになります。

『戦塵冊』を始めた年がすでに60才でありましたから、その後28年にわたって戦時資料の収集と目録発行作業を続けられたのは、ひとえに貢さんが体験した戦争への執念としか私には思えません。

『戦塵冊』には第二集から「昭和史に関係の目録」と副題が付いていました。これは初めて目録を手に取る人がすぐに内容の見当がつく配慮でしょう。

その副題に変化が起きます。最初の発行から22年後、貢さんの年齢も80才をこして作られた第十六集から「懐しき良き時代もあった昭和を回顧しての目録」に変わっています。

この副題では戦時資料目録を連想させるよりもむしろ個人的で偏向した印象を与えかねないと危惧してしまいます。挨拶文には手術をして体調がすぐれないとの一文もあり、これまで孤軍奮闘して戦争に導いた為政者への批判を貫いて来た貢さんの心境に何かしらの変化を感じさせます。

ちょうど世の中は閉店してゆく町の本屋さんが顕著になってきた時期でもありました。有名な雑誌が休刊するニュースも目立ち、本や雑誌が庶民の暮らしからジワジワ遠ざけられてしまいます。生活の様々な場面に1台のスマートフォンがまかなってくれる状況が急に広まって行きます。

本屋からお客の足が遠のく。だからと言って諦めてはいられません。二の橋書店は3代目の田中領さんのアイデアでカフェを併設した古本屋へとリニューアルを遂げます。棚の本を眺めながら淹れたてのコーヒーを飲み、店主と会話を交わし再び棚の本を眺めると、別の発見が生まれたりします。

店主と気軽に話せるようになったおかげで、私は悶々としていた若い頃に手に取ったまま記憶の片隅に置いていた『戦塵冊』が続けられてきたことと毎号の発行者の声に耳を傾けることができました。

田中貢さんは昨年逝去されました。一度もお話しする機会はありませんでしたが、もし貢さんがカウンターの中でコーヒーを入れていらしたら、私はまずこう切り出します。

「あのう、僕は20代の頃はよくアダルト雑誌を眺めにお店に来ていました」

そこに付け加えます。

「一度だけ『戦塵冊』を手に取ったことがありました。表紙には軍用機が載っていた号です。中身は難しい目録で見方は分かりませんでした。でも、貢さんの挨拶文は繰り返して読みました」

二の橋書店『戦塵冊」第13集
二の橋書店『戦塵冊」第13集

『戦塵冊』最終号に寄せた挨拶文は合併号もあってかいつもの倍の原稿量でした。しかも、戦争体験のことから少し離れて、浅草時代に目にした町のにぎわいが綴られているのでした。副題も「懐しき良き時代もあった昭和を回顧しての目録」であったのを「忘れられた昭和時代の出版物(資料)」となり、幾分か当初の調子を取り戻しているようにも思えます。

《 再開発で六区の有名な小屋は次々と消されていたのです。
観音さまにお詣りして、雷門を出て上野方面へ行くには右に行きます。
仲見世通りに並行して、何本かの道(通り)があって、それぞれに名があり付いています。〇〇〇通り、区役所通り、寿司や横丁など…(今は寿司屋は二、三軒しかないが、昔は両側にお寿司屋さんが競っていました)。
その横丁を行くと六区の映画街になります。先ず右側に金龍館、常盤座、東京クラブと三館共通といって自由に中を観られて便利でした。それに続いて、電気館、千代田館、少し離れて昔、踊子がパンツを脱ぐと騒がれたオペラ館などの小屋がありました。
中でも常盤座の名が消えたのが残念です。浅草オペラで名を売った田谷力三は有名です。笑の王国といって活動弁士の生駒雷遊、関時男など、彼の美声とアチャラカ劇を交じえてのショウは大人気でした。
正月など館内は超満員、入れ換の時は人の大津波のようでした。ペラゴロが幅を利かした時代です。それら劇場、映画館の並んだ裏通がありました。
早くから姿を消した女剣劇の公園劇場(沢、正の新国劇も上演)のあった通りに「峠」というレストラン(洋食屋)・隣に奥方の経営の喫茶店がありました。
その昔、往年の外国映画の名優だったミッキールニー?によく似ているマスター。一見近寄り難い風貌だが話せば別人のようなやさしい御仁。ヒレかつ、豚かつとは言わないかつフライというメニュー、四、五人の対面席…。
月には一度、妻子供と御伺いする。だまって席に座くとすぐ、ガチャガチャ音を立て何かを始める、その手際の良い事早い事。やがて差出されるコーンスープの美味しかった事。三〇年経って忘れられない絶品の味。店のメニューにはシチューの名はない。
ある時、長男(高校生時代)が友人と食事で行った折の事、席につくなり勘定は親父から貰うから美味(スキ)なもの注文しろと話しのわかる好人物。それがマスター。
今でも忘れられない。》(戦塵冊 第十九・二十集(合併号) 2013年)

 

つづく

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文責・板垣誠一郎


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2020年8月配信開始
東京のむかしと本屋さん 浅草編

・第1回 夕刻の日差し第2回 二の橋書店の目録『戦塵冊』第3回 二の橋書店の目録『戦塵冊』続第4回 二の橋書店の目録『戦塵冊』続々第5回 二の橋書店の目録『戦塵冊』結び第6回 浅草文庫第7回 仲見世の本屋さん第8回 木目込人形第9回 座売りの本屋第10回 生活に囲まれた一角レポート 描かれた浅草ゆかりの本屋さん

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

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