第2回 金松堂書店の看板犬ヒナ
金松堂書店にヒナと名付けられた看板犬が来たのは2002年の3月3日。この頃の東京の街は今と比べたら本屋が各所で見つかっていた頃で、駅を降りたら新しい本屋ができていたり、ビルのおっきなフロアに大型店がオープンしたとか続いたもンでした。
慣れない街を歩く時は本屋があると駆け込めるから嬉しい。特に赤坂のように世間のイメージのついた街は、実際がどうあれ、自分の居場所が見つからないような気がしてオドオドしてしまいます、この小心者。
そんな時に一等地にある金松堂の存在は実にありがたいわけで。それではちょっとお店にお邪魔して‥‥。
ヒナさんは1階フロアに備えつけた囲いのなかで姿を見せます。吠えたりかみつくようなことはない実におとなしい。
犬種はシェットランドシープドッグ(通称シェルティ)。ブリーダーの方があらかじめ飼い主に飼育場所を聞き取りして飼育方法を丁寧に指導していたので、店主の西家(にしけ)さんはじめ一家をあげて生まれたてのちっちゃなヒナさんのしつけに努めた。その甲斐あって来店客に親しまれる存在になったのも納得の行くところ。
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お店の裏手は芝生の公園です。ヒナさんが遊ぶ姿も見かけられました。
ある時、そこで一匹でいたヒナさんを見知らぬ人に連れて行かれそうになった。危機一髪、ちょうど商店街のお仲間たちがそれを目撃したので相手から連れ戻してくれました。
目をつけられるのも良い時があって、制作会社のスタッフがスカウトに来て見事テレビ出演も果たしています。
その番組はやっぱりすぐそこのテレビ局ですかと訊ねると別のところで、縁はいつどこからやって来るかは分かりませんナ。
それからヒナさんも風格の出た2011年3月11日の大地震が起きた赤坂は、ご多分に漏れず街に帰宅困難者が立ち往生、通りがいっぱいだったとのこと。地震のあいだヒナさんはトイレに駆け込んだそうです。犬にだってあの日の恐ろしさが分かったんですね。
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そのヒナさんが13才の時に寿命が来ました。聞きつけた近所の方々が焼香にと何人も店に来たそうですが、あれから何年も経った今でも「あのワンちゃんはどうしていますか」と時折尋ねられることがあると西家さんがおっしゃいます。人気のほどが分かります。
ヒナさんの姿は写真と絵で見ることができました。一ツ木通りからこちらにちらっと目を移した写真があります。ヒナさんは通りの何に関心を持ったのでしょうね。誰かが来るのを待っていたのでしょうか。それとも見送っていたのか。何を伝えようと振り向いたのでしょうか。
3月3日のひな祭りに初めて来たので名前をヒナ。ひな祭りでヒナ。
ヒナさんの〝雛〟はさいきんは〝雛壇芸人〟という言い方がテレビ番組で広まっていますね。
雛壇にはお祭り人形や飾りを並べる段の他にも、歌舞伎の舞台や客席にも古くから用いられてきておりました。それに加えて国会での大臣席を雛壇と呼ぶ用い方もあるヨと広辞苑が教えてくれる。
政治の中心・永田町と隣接する赤坂、国会議事堂なら歩いて行けます赤坂。ヒナとはよく名付けたものだと妙に感心する私め。
大臣の先生方には、金松堂のヒナさんのように庶民に愛される存在であることを心より願っています。
ヒナには雛という字とは別にもうひとつ、鄙という字があります。昔からの言葉で都から離れた土地、田舎を指します。実は赤坂にも鄙めいた、のどかな景色が色々な文章に綴られて残されています。今の街の様子とはちょっと違った顔です。
金松堂の思い出話とからめて、赤坂のヒナを探しにおつきあい願います。
(つづく)
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文責・板垣誠一郎
2019年9月配信開始! 赤坂のヒナ探し
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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