[港区・赤坂]赤坂のヒナ探し 第1回 ラジオの向こう

シェットランド・シープドッグ(シェルティ)はお店の看板犬だった「ヒナ」。 写真提供・金松堂書店 西家嗣雄さん
シェットランド・シープドッグ(シェルティ)はお店の看板犬だった「ヒナ」。 写真提供・金松堂書店 西家嗣雄さん

書店のゆかりから東京のむかしをたどる今回は、港区赤坂。にぎわいつきない一ツ木通りで長年営む金松堂書店に話をうかがいます。お店と赤坂ゆかりの方々の面影を追おうという趣向。

第1回 ラジオの向こう


ラジオを胸ポケットに差して出歩くのが習慣で、かれこれ30年。もうベテランの域に入ってましょ。これがありませんとネ、誰からも話しかけられず1日が終りかねない。

仕事の日も耳にイヤホンして電車にガタンゴトン。小田急線は多摩川をこえて世田谷に入るとスッキリ受信してくれる。高架化でグングン新宿に向いますヨ。途中の下北沢の時だけはグゥッともぐってしまうンで電源ポチッと消しときます。耳も疲れますので丁度よいですナ。

ラジオ番組はぎょうさんありますが、どうしても好みの声や喋り方で聴くのが決まってしまう。月曜は仕事の始めダ、気を引き締めて自分ッ!とばかり朝のニュースでスタンバイ。週の半ばで少し慣れてきた昼には、おじちゃんとねえさんのダベリが心地よい。解放される土曜日はなぜか好みの喋りが多く、しかも局をかぶさってやがるッ、タハッ!こうした日はたまりません。

ラジオは読む必要がない、相づち打ってたらいい。ノンキだネ。

いまの新しい方たちはラジオ聴くのもスマホらしいが私めは今もってラジオ専用器。

ヒイキのAM局がFMでも流れ出して、さいしょこそAMのくぐもった音が喋り声には適してるぜッてひとり抗ってましたが、まァちょっと聴いてやるかとFMにしたら、ツルッとした音で、これがまた向こうとの距離が縮まった気がして一気に心変わり。何より電車ンなかではFMの方が感度良し。でも電池の持ちはAMの方がいい気がしたンですが、気のせいですかネ。

30年かけて聴いてますとラジオの向こうも変化がありました。今もって惜しまれる訃報です。

2012年12月10日 小沢昭一さん死去 83才

2016年7月7日 永六輔さん死去 83才

長年TBSラジオで活躍された功績を受け継ぐように別の喋り手が番組を作っているッて私めは感じてますから、今もってラジオが手放せない。でもたまに、このお二方それぞれの番組がやっていた時間帯にフイに思い出しますヨ。

このおふたりは著作も多かった。亡くなるなんて思いもしないずっと前、西暦が19から数えていた私めも若かりし頃、本屋に行くと決まってどちらかの顔が載ってる新刊が並んでいたように‥‥逆かナ、探していたのかナ、なぜかホッとするから。どっちでもいいや。

今さらながら噛みしめて著作の字面を目で追っています。声とは別の顔をお持ちの芸能人のお二方。大道芸の取材の旅をした小沢昭一サン、明治大正に生まれ育った職人芸人庶民の聞き取りをした永六輔サン。当時すでに失われつつあった世代の営みの豊かさを伝える貴重な記録。

そして、共通する昭和1ケタ生まれ(1926〜1934年ごろ)の世代が体験する戦争の記憶。

ラジオから発するお二人それぞれの明るさ、アーハッハッハッハッ!の笑い声。その原体験には何があったのか。書き残されていますネ。

その小沢サンや永サンが立ち寄った赤坂の本屋が金松堂。TBS放送局からほど近くの赤坂一ツ木通りで100年にわたるお店です。(つづく)

 → 次回

文責・板垣誠一郎


2019年9月配信開始!
赤坂のヒナ探し

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

このサイトは、東京ゆかりの本屋さんからうかがった思い出や、地域ゆかりの本や資料からたどりまして、歴史の一場面を思い描きながらこしらえた物語を発信しています。なお、すでにお店の所在地・営業時間は取材時のものです。(東京のむかしと本屋さん編集部)

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