[横浜・桜木町]東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 第2回 3行の経歴

第2回 3行の経歴

野毛山動物園でしばらく和んでから折り返しの足どりはゆるみ、ちょうど野毛坂に見えたのは、ちょっとやそこらの歳月ではきかない貫禄で建つ天保堂苅部書店でした。

まず屋号の長さの不思議。天保堂と、苅部書店と、こちら2つの屋号をまるで組み合わせたような気がしました。

横浜の都市めいた観光エリアとは別の顔を見つけた好奇心でドアを開けます。

屋内をタテ2つに分けるような書棚が奥の番台まで続いています。中ほどに書棚分の幅の通路が開けられており、番台まで行かずに2つの部屋を移れるかっこうにしてあるのですが、まるで別々の空間にも感じます。

とまぁ、こうしたことを内に秘めながら過ごすひとときが、よそものには楽しいンですが、その謎解きはいずれ店主からの話からあっさりと解かれてしまいます。

横浜はじめ神奈川の史料が左奥からずらっとあります。番台前のコーナーには大佛次郎、長谷川伸、吉川英治だけを集めてあります。文庫も単行本も豊富です。

ここで見つけた買い物を受け取る時に、店主の方がショップカードも添えて下さいました。

表ッかわは屋号に住所、〝探求書、後蔵書のご整理 お気軽にご相談ください〟と古書店ならではのがありまして、これを裏ッかえしますと3行の経歴。こうあります。

〝昔、明治・大正 野毛坂と神田神保町

 関東大震災後  野毛坂と伊勢佐木町有隣堂

 敗 戦 後   野毛坂と野毛本通り〟

あのぅ、明治・大正ってありますけど‥‥。目に入ったんでお尋ねしますと、「日本が、日清戦争をしていた頃くらいからですかね」

日清戦争!? 頭の片隅に残っていた歴史年表のホコリを息でぷっと払いのけまして判断するに、それは相当むかしのことであることに気がつきますと、まさか自分は明治からずっとある建物の中に居るンじゃないか、ここは横浜だ、ありえるぞッなんて錯覚を起こす。

番台の店主、お名前を苅部正(かるべ・ただし)さんとおっしゃいます。まさか苅部さんは明治生まれかッ? これは大変な店に足を踏み入れてしまったッ! どう次の質問をしたらよいやら判らなくなったのが向こうに伝わったのでしょう、苅部さん、

「うちのジィさんがどうも明治の20年代の終わりくらいに、神田神保町で古本屋の修行を始めたようなんですヨ」

そうですよね、明治のお話ですもの、おじぃさんのことですよね‥‥。 苅部正さんは昭和7年(1932)の横浜生まれの野毛育ち。


苅部正さん。お店はご子息・苅部眞樹さんたち家族とともに営む。(2019年1月撮影)
苅部正さん。お店はご子息・苅部眞樹さんたち家族とともに営む。(2019年1月撮影)

家屋とは別に野毛坂に面した建物の半分ずつを別々の店が営んだ。その片方が苅部さんが「古本屋のジィさん」と呼ぶ方の古本屋。そのうちに店のもう一方も本の倉庫にしてしまうほどだったようで。

なるほど、店を二分する壁のような書棚は、もともとが壁だったのであって、そこを書棚に当てたというわけだ。

もう一つ、屋号のこと。これも元は明治から大正、昭和と続けてきた屋号は天保堂書店。ここに苅部の名が加わったのは、実は戦時下に横浜の人びとが犠牲になった大空襲のため、一度は店を閉じざるをえなかった状況を苅部さん家族が続けましょう、がんばりましょうと守りつづけたあかしなのでした。


お店専用ブックカバーとして作られた中の1枚。
お店専用ブックカバーとして作られた中の1枚。

それで見せて下さったのが『神奈川古書組合三十五年史』。これが出されてからも四半世紀。すでに組合は50年をこしています。

実はその前から、大正時代の初めに伊勢佐木町の近く横浜若葉町にあった店で古本屋たちの集まりが出来て天保堂のご主人たちが「横浜古書組合」を作ってた。だから本当はもっと古い組合。

この組合史を書く時に苅部さんは組合でも一番の年長者になっていたそうです。一番をご当人は「一等(いっとう)」という形容をされます。古本屋も「ふるぼんや」と時折濁って聞こえるのですが、世代と土地ならではの遣い様かも知れません。

家族とともに苅部正さんは、戦後の物不足の時代から横浜野毛の町で本を売って天保堂苅部書店の屋号を守って来られた。多くの人びとが本を求めてもいました。ショップカード裏の3行経歴の3行目に当たります。

苅部さんが「うちのジィさん」とか「古本屋のジィさん」と呼んだ人こそ、経歴1行目と2行目を担った方です。

今とは社会の仕組みが違っていた明治大正、昭和に入ってからの間を、東京神田と横浜野毛を本売りで結ぶ担い手として活躍。そこの所を、苅部さんに教えてもらいましょう。

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文責・板垣誠一郎

参考文献
・『神奈川古書組合三十五年史』組合史編纂委員会(代表 高野肇)編著、神奈川県古書籍商業組合、1992年
・『神奈川県古書会館落成記念のしおり 附組合史稿(抄)』神奈川県古書籍商業組合、1980年


紹 介

天保堂苅部書店

2019年2月3日撮影・板垣
2019年2月3日撮影・板垣
住所:〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町3-134
横浜市中央図書館下(野毛坂)
定休日:月曜日 
TEL:045-231-4719 
FAX : 045-231-4719
最寄り駅:桜木町駅、日ノ出町駅

2019年2月配信開始! 東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 
第1回 横浜駅のおじいちゃん 
第2回 3行の経歴 
第3回 神田神保町時代 
第4回 天保堂の番頭 
第5回 ミミー宮島と野毛のジャズ 
第6回 野毛のバラック
 第7回 伊勢佐木町の有隣堂
第8回 ネコの本屋 
第9回 バー・マスコットのムッシュウ 
第10回 野毛大道芸

 

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

このサイトは、東京ゆかりの本屋さんからうかがった思い出や、地域ゆかりの本や資料からたどりまして、歴史の一場面を思い描きながらこしらえた物語を発信しています。なお、すでにお店の所在地・営業時間は取材時のものです。(東京のむかしと本屋さん編集部)

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