[横浜・桜木町]東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 第1回 横浜駅のおじいちゃん

第1回 横浜駅のおじいちゃん

線路は続くヨどこまでも‥‥の唄を子どもの時に覚えました。

暮らす町は私鉄の駅舎が毎日の営みに欠かせない所で、踏切のカンカン警笛や電車の走り去る音はあって当然でした。

なのでこの唄は他にも習う中の1つであって、格別の思い入れはありません。だけれど電車に乗れば車内が空いていたら運転席の見える窓の方へ足が向きました。歌詞のように線路は続きますが、どこまでもという大きなとらえ方よりむしろ、ハナから判っている目的地まで電車が1駅1駅と近づいて行くことに愉しみを感じました。

運転席見たさに幼い子がそばに来たら譲ってしまう性分だし、他を押しのけてまで車窓に食い入るほど特別鉄道の知識を持ちませんが、厄年こした四十代になってからこの歌詞をつい最近になってようやく味わい愉しみました。

愉しめたのは、乗ったのが日頃めったに使わない区間だったせいもあったでしょう。 東京駅から横浜駅まで東海道線の運転席の後ろに立ちました。 途中の停車駅と時間にすればわずかなものでした。

スカイブルー際立つ京浜東北線が何度か顔を見せました。もちろん東京へ向かう東海道線も走ります。 そして何より貨物列車の迫力でした。まるでそこに停まっていそうなほどの隊列を組んでいました。 毎日の通勤列車があと1、2両よけいに付いてあれば混雑が緩むだろうに‥‥と思うサラリーマンの身にしてみたら、あの長蛇はまさに鉄道の生き物でした。線路は人が動くためのものと言うよりも、人を含めてモノを運ぶためにあるのだと改めて知らされました。

私こと四十過ぎのおじさんはこうして感慨にふけりながらも、いつ横に少年が寄ってきてこちらは退散せねばならないのかと落ち着かないまま、幸いこの時は車両は空いたまま、東海道線が横浜駅に入線しました。


横浜市青木橋より東京方面の路線を眺める。右手は京急神奈川駅。
横浜市青木橋より東京方面の路線を眺める。右手は京急神奈川駅。

いまの横浜駅にはおじいさんがいました。

駅のおじいさんなんて言い方はおかしいでしょうが、実際に記録されている本に寄ればいまの横浜駅は3代目なのです。 初代も、2代目も、そして3代目の横浜駅もそれぞれ生きてきた時代も場所も違います。

いまの横浜駅が出来たのは昭和3年、西暦1928年。ことし91年目になるのですから長寿、3代目だって十分におじいさんなのかも知れませんネ。 JRの東海道線、京浜東北線、横須賀線、私鉄の京急線、相鉄線、東急線、みなとみらい線、横浜市営地下鉄の交わるこの主要駅は、たまにしか来ることのない者にはいつも方向を見失う迷路のような広がりです。

先代2代目の横浜駅は大正4年(1915)8月に生まれましたが奇しくも大正12年(1923)年の関東大震災で焼失する悲運の駅舎でありました。それでも横浜の大看板を次の本命につなぐように昭和3年(1928)10月まで、8年間活躍していたのです。


桜木町駅まえに展示されている初代横浜駅舎の写真パネル(横浜開港資料館蔵)
桜木町駅まえに展示されている初代横浜駅舎の写真パネル(横浜開港資料館蔵)

では初代の横浜駅、おじいさんの横浜駅は、日本で最初の鉄道の駅という実に誉れ高い駅舎であるのです。

明治5年(1872)の秋10月に東京の新橋駅から出発して、日本に鉄道が走った記念すべき終点の駅舎がこの初代横浜駅です。鉄道開業のその時、20才になる年の明治天皇とその一行を乗せて23.8キロの鉄路を陸蒸気(おかじょうき)と呼ばれた列車は走ったそうです。

実は、このおじいちゃんの横浜駅は建物こそ替われども今も現役です。 実は2代目に横浜駅の大看板を譲ったおじいちゃんでありましたが、自らを桜木町駅と名乗ったのです(大正4年・1915年8月15日より)。

横浜駅からいまも京浜東北線の停車駅であるホームには、発車する際に流れるBGMが実は〝線路は続くよ、どこまでも〟のフレーズです(佐木敏作詞、原曲はアメリカ民謡)。 孫とともにいまも横浜駅のおじいちゃん桜木町駅がミナト・ヨコハマ観光の玄関口として便利のいい立地にあるのは、この地を横浜駅とした発祥を思えば当然のことかも知れません。

近く横浜市庁舎が新しく移って来るのも横浜駅よりむしろ桜木町駅に近いのもヨコハマの地形を見る上でポイントなのでしょう。(2020年6月使用開始予定 参考:http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/kanri/newtyosya/kensetu-info/kensetsu-info.html

自分が孫の立ち場に戻ると、おじいちゃんはそれだけで懐かしい。

反面、親よりもすっと年上のおじいちゃんが折にふれて話してくれる昔ばなしは、孫にとって見知らない遠い記憶。 おじいちゃんと自分との生きてきた距離はずっと縮みこそしませんが、孫は若い分だけ、後になっておじいちゃんの面影を追って行ける時間の余裕はあります。

桜木町駅から歩いて行ける野毛坂に本屋さん、天保堂苅部書店があります。

初代の店主は大正時代に東京神田から横浜に来て本屋を開いた人でした。その人をおじいちゃんと呼ぶ、今の主、苅部正さんから聞いた思い出を次回よりお伝えいたします。(続く)

→ 次回


文責・板垣誠一郎

参考文献

・『鉄道と街 横浜駅』三島富士夫、宮田道一/著、大正出版、1985年
・『日本の唱歌(中)大正・昭和篇』金田一晴彦、安西愛子編、講談社文庫、1979年


紹 介

天保堂苅部書店

2019年2月3日撮影・板垣
2019年2月3日撮影・板垣
住所:〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町3-134
横浜市中央図書館下(野毛坂)
定休日:月曜日 
TEL:045-231-4719 
FAX : 045-231-4719
最寄り駅:桜木町駅、日ノ出町駅

2019年2月配信開始! 東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 
第1回 横浜駅のおじいちゃん 
第2回 3行の経歴 
第3回 神田神保町時代 
第4回 天保堂の番頭 
第5回 ミミー宮島と野毛のジャズ 
第6回 野毛のバラック
 第7回 伊勢佐木町の有隣堂
第8回 ネコの本屋 
第9回 バー・マスコットのムッシュウ 
第10回 野毛大道芸

 

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

このサイトは、東京ゆかりの本屋さんからうかがった思い出や、地域ゆかりの本や資料からたどりまして、歴史の一場面を思い描きながらこしらえた物語を発信しています。なお、すでにお店の所在地・営業時間は取材時のものです。(東京のむかしと本屋さん編集部)

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