第6回
本郷から駒場まで
駅西口から坂をゆるやかに上がって行きますと駒場通りはまっすぐ伸びています。鳥にでもなったつもりで(ドローンでもよいのですが)地図で見ると、東大と駒場公園とに挟まれている一本道、先の先までそれはそれは格の高いお宅が通りの両脇ずらっと並ぶ。日本民藝館は通りから眺めるだけでも建物のかたちが不思議に懐かしい。この通りに漂う品のある高級感には、どうもたじろいでしまいます。
河野書店のある商店通り界隈は「駒下」(こました)という呼び方があるそうですが、さながら「駒上」(こまうえ)と呼ぶにふさわしい界隈(?!)。実際、駅から坂を上りますしね。
元々江戸の頃より本郷にあった前田家の屋敷が昭和の初め頃になりまして郊外の駒場に移転して来ました。これが駒場公園にいたるわけですね。『日本の名門100家─その栄光と没落─』を見ると前田家の越した駒場の屋敷には働く使用人は100名を越していたそうです。ちょうど日本民藝館建設の工事が進められていた頃と重なりますから、当時の「駒上」は財力のある人たちが色々とやって来ていたようですね。
駒場公園の入り口はいかめしい門構えですが、もとが貴族のお屋敷と聞けばさもありなん。空を仰ぐように背の高い木々が集まる園内は渋谷や下北沢から近いことを忘れさせます。100人をこす使用人が働く前田家の日常はどんなものだったのでしょう。
この土地は敗戦後GHQに接収され、マッカーサーの後任リッジウェイ中将の公邸に看板が変わった。リッジウェイの語感にも、やはり高級感があるところがにくい。
園内には日本近代文学館があります。ここに度々本を届け続けた人物、ペリカン書房の品川力さんの話に関心を持ち、ボクは数年前の夏場、実際に品川さんがやっていたように本郷から駒場まで自転車をヒーコラヒーコラとペダルをこいで往復しました。
[本郷・東大赤門]ペリカン書房と品川力さんと、本郷の町。 第9回 日本近代文学館への献本
本郷から水道橋駅の外堀通りに出て、飯田橋駅を過ぎ、市ヶ谷駅までまっすぐひたすらこいで二又に分かれる地点で四谷駅の方には回らず防衛省前の靖国通りを選び新宿駅を目ざす。
先を走るカウボーイハットで冬でもYシャツ姿で頑丈な自転車にまたがり後には本の詰まった木箱を積み込んだ品川力さんはやはりかっこいい。その姿は写真にも撮られています。ボクは木箱は載せないのに日頃の運動不足がたたってヒーヒー言ってついて行くので精一杯。
バスタ新宿はまだ完成前でした。甲州街道に入ったころにはもう後戻りをするつもりもなくなり、品川さんはどの道を選んで本郷から駒場まで本を運び続けていたのだろうかという当初の疑問も忘れて、ボクは一人ハトバス、観光サイクリング状態。
中野通りで左に曲がればもう着いたも同然で、駒場公園まで特段坂らしい坂に出くわす苦労はないものの、現代風なら後期高齢者と分類されるお年まで自転車をこいで運んでいた品川力さんにただただ脱帽。その日は暑い日だったせいもあり、頭に当たる風の心地よかったこと。
河野さんもお店を出した頃に市場で品川さんを見かけたそうです。
(つづく)
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文責・板垣誠一郎
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投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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