連載 ◎ [横浜・野毛]東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 第7回 伊勢佐木町の有隣堂

第7回 伊勢佐木町の有隣堂

店におじぃさんが見えない残念顔の坊やに、番頭サンが教えてあげます。篠田さんでしたら伊勢佐木町に行ってらっしゃいますよ。そうなの。すると番頭サン、これから補充の品を持って行くところだから、正ちゃんも一緒に来たらいいよ。ウン、そうする。

まだ苅部さんがくりくり頭の少年時代の天保堂です。番頭サンもおかみさんも一緒に店を切り盛りしていた頃。店主の篠田亮一さんは50代半ばを越していて、天保堂は野毛坂の店とは別の場所にも品物を出していたのでした。

野毛坂を下りて大岡川の方へトコトコ歩いてって、都橋を渡りまして吉田町も越します。この私の足で20分。皆様の参考にはなりませんが。まア、そうしましたらデデンとにぎわう伊勢佐木町の通り。横浜で昔ッから、色々な商売の店が並ぶ通りで、舶来品の唐物屋、明治大正に流行った勧工場、呉服、足袋、眼鏡、そして本屋‥‥往時はその数100種をこしたほど。街並みの光景が写真に撮られた写真のハガキに残されています。

苅部少年が番頭サンと向かった先はそこの有隣堂。2階に上がって行くと、古本屋のおじぃさん、篠田亮一さんがこちらに気がつく。──おや、正くんも運んでくれたのかい。ご苦労様。ここに置いて下さいよ。その間にも近くを古書好きたちが行き交っていたことでしょう。

天保堂書店は昭和10年(1935)12月下旬から16年の夏にかけて同業の一味堂とともに有隣堂2階で古書部として営業していました。この話、今も苅部さんがショップカードの3行の経歴に残してあるご自慢の足跡です。

戦前の伊勢佐木町・有隣堂で古書部を担った時代の名刺(提供 天保堂苅部書店 苅部正)

有隣堂の社史(80年史、100年史)が地域の図書館で見つかりました。明治から始まる出版産業がたどった流れが有隣堂の歩みと併行して記録されてあります。

業界史を勉強して来なかったツケが、若さでごまかせない年齢の我が身に最近とみに返っています。アイタタ、タタタ‥‥。そんな折りに有隣堂社史の丁寧な語り口がとても優しく感じらるのでした。

横浜発祥、創業110年の老舗書店の有隣堂が、最近では東京ミッドタウン日比谷内に従来の書店とは別の本の見せ方をしてあり驚かされました。新宿小田急デパート内の店舗もカッコイイ。有隣堂は挑戦し続けている。ひしひしと伝わってきます。

参考リンク
新宿 STORY STORY https://www.yurindo.co.jp/storystory/
東京日比谷 ヒビヤセントラルマーケット https://hibiya-central-market.jp/

ところで、野毛に天保堂が出来る以前の明治時代初期にあった「茶店くつろぎ」をご紹介します。

「お客様、お茶でもまず一杯。」

案内されて入りました店内には文明開化のご時世伝える新聞が置かれています。

「どうぞご自由にご覧になって。」

徳川幕府の政治が崩れ去ってから数年、明治維新の名の下で政府は社会を新しい仕組みに変えようとしているところ。それを押しつけられるのは旧時代を生きて来たわれわれ庶民一同。

新聞は右も左も新しく塗り替える社会を庶民に伝える役割を担った。これに加えて、人間味あふれる三面記事の新聞も出た。スポーツ紙のご先祖でしょうかネ。紙面に目を落とせばアリャマタビックリ、アハハと笑う情報は楽しいや‥‥。現代にも通じるのぞき根性の読者たち。

外国と東京との接点を担う横浜に「新聞縦覧所」と呼ぶ場所が生まれました。その一つが野毛山の茶店くつろぎ。実際には「窟螻蟻」の字を当てていました。

お店の人気は「仮名読新聞」。三面記事的内容。クスクス笑う客を横目に店主もクスクス。なんだい、失礼なッ。笑っちゃいけないのかよぅ! いえいえ、スミマセン。その新聞、私が書いているもンすから、嬉しくってネ。何を隠そう、くつろぎの主人は仮名垣魯文(かながきろぶん)というキミョーな名前のおじさんでした。

おじさんは数年前まで続いてた江戸時代で筆一本の生活した戯作者(作家)。それが政局の変転があって仕事の当てをなくします。ところが彼の文章力を見込んだのが神奈川県。おじさんに職を与えた。収入は安定する。むしろ上がった。その勢いに乗ったか何だか自分の手で「仮名読新聞(かなよみしんぶん)」を創刊した。底辺には笑い。これだけは旧時代から変えない。時流を敏感にとらえながら自らの道を切り開いた人生。

この経緯は『仮名垣魯文 文明開化の戯作者』に書かれています。作者は興津要さん。幕末明治の戯作者研究のほかに落語の本の編者としても多くの仕事を残されています。

横浜と縁深い興津さんは有隣堂(有隣新書)からこの伝記を出しています。後書きにはこう記しています。

「平穏な江戸文壇から激動する幕末から明治開化期の世にほうり出された作家たちにとっても、同じように〈思うにまかせない暗黒の時代〉だったろう。」

これは興津さんが学生時代に体験した戦争をする国・日本への思いと重ねたものでした。研究の底辺には常に〈思うにまかせない暗黒の時代〉への批判があったのだと思います。

流行り物を提供しながら自らの腕を試す場に「くつろぎ」と名付けた仮名垣魯文。お店を始めて数か月後には東京の銀座に移り新聞編集を続けて行きます。伝記では行き詰まって行く後半生まで描きます。

2019年3月下旬の伊勢佐木町、有隣堂のまえ。

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文責・板垣誠一郎

参考文献

・『仮名垣魯文 文明開化の戯作者』興津要著、有隣新書46、有隣堂、1993年
・『有隣堂八十年史』有隣堂八十年史編集委員会編、有隣堂、1989年
・『有隣堂100年史』有隣堂100年史編集委員会編、有隣堂、2009年


紹 介


天保堂苅部書店

tenpo-dou karube shoten

「日本の古本屋」URL: https://www.kosho.or.jp/abouts/?id=13000040

住所:〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町3-134 横浜市中央図書館下(野毛坂) 定休日:月曜日 TEL:045-231-4719  FAX : 045-231-4719 最寄り駅:桜木町駅、日ノ出町駅 facebook(フェイスブック)リンク

2019年2月3日撮影・板垣

2019年2月配信開始!

東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

「東京のむかしと本屋さん」編集部 メール tokyomukashi@gmail.com