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  • [横浜・野毛]東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 第10回 野毛大道芸

    第10回 野毛大道芸

    野毛大道芸のお祭りの時間帯に合わせて天保堂苅部書店に向かうと、ふだんの車道に通行が許されており、この時ばかりは人の往来さかんな大道ぶりを見せていました。

    このお祭りは30年余り続いていまして、和暦でいえば昭和、平成、令和の3世代に渡る大きな町おこし。桜木町駅の改札近くで地域紙タウンニュース特別号が配られ催事の詳細を紹介しています。

    苅部正さん眞樹さん父子お二人とも長年にわたりこのお祭りを応援してきた地元の方々です。

    「こんなに人通りのある日は、ラーメン屋のスープの味も薄まるよぉ」
    なんて粋なフレーズで店先から表を眺めていらっしゃる。

    そのオススメであった中国雑技芸術団の演技は本当に目を見はり息を飲む緊張と感動の一時でした。


    2019年4月28日野毛大道芸(撮影 板垣)
    2019年4月28日野毛大道芸(撮影 板垣)

    実際に演じる方が書いた言葉によれば「周囲360度のお客さんを相手にする、お客さんと同じ地面に立っている、街そのものが舞台装置」が大道芸のポイント。これは野毛大道芸が始まった数年後の本から見つけました(雪竹太郎「大道芸人〝理論武装〟の試み」)

    「店に来れば誰もが本を買ってくれました」。

    苅部正さんからうかがっていた青春時代。戦後の横浜復興の時代、野毛通りが人の往来でにぎわっていたようすが頭にあって、私はその疑似体験のつもりでこのお祭りを歩いてみようと思いました。

    すると野毛大道芸のお祭りはビールやおつまみ片手に愉しむ人の何て多いこと! 大人が多い、子どもより。昔は子どもも多かったのでは。飲み助はそれなりにいたのかもなぁ‥‥。

    店主座る番台近くで布で覆っている中に、戦後すぐに刷り増しされた岩波文庫『みみずのたはこと』を苅部さんが見せて下さった。

    それは思い出につながるンです。

    青山の大学に通いながらその足で、自分とこの仕入れのために神田神保町の古書市場や問屋を回って、売れ筋の岩波文庫やその他もろもろを傷まないように持参のふろしきに大切に包んで、定期券があるからと渋谷にまた引っ返しての東横線。桜木町駅まで帰ってた。(東急東横線桜木町駅は2004年1月30日まで営業)

    ですから、通学(通勤?!)の電車で仕入れた本を読むことはふつう。そのようすを知り合いが見て「彼は勉強家だなぁ」って言われてたそうです。

    見せて下さった『みみずのたはこと』は上下巻2冊組みです。私も10年あまり前に買っています。内容は、明治時代後半の東京郊外で暮らす徳富蘆花の靜かで心音のする随想。さておき、私が知っているのと明らかに違うのが、本の軽さです。吹けば飛ぶは大げさですが‥‥。

    岩波文庫は小さな活字(活版印刷の字形。読む文字のこと)でぎゅっとびっしり紙面を使って値段をおさえたのが本来のあり方。限られた紙資源をいかに宛がってページ数をおさえるか。さらには、当時の用紙の質の程度を考えずにはいられません軽さなのでした。

    これと似たような状態のもので最近になって読んだ本がありました。

    アジア・太平洋戦争の日本敗戦の年、1945年。それから10年に満たない頃に角川書店発行の昭和文学全集の1つに『大佛次郎集』は刊行されています。

    紙面をむしばむように端から茶色の染みが経年劣化を感じさせます。A5に近い紙面は薄くて軽い本文用紙で、『みみずのたはこと』並みの小さな活字で20文字29行が3段に分かつ400頁。原稿用紙で1500枚を越す分量の単行本です。

    大佛次郎作『帰郷』『乞食大将』『幻燈』『地霊』『詩人』『霧笛』が収められています。その一編『幻燈』は文明開化の横浜を舞台にしたことで「開化小説」と読んだ作品です。

    国の変革という転換期に登場人物たちの見せるそれぞれの動態を織り混ぜて、人間の弱さの中にこそ芽生えるわずかな可能性を読者に予感させます。

    作者がこの作品を書いたのは、敗戦を迎えた日本が占領軍の統治下にあった頃で、当時の横浜や東京の街の空気を吸ったなかで書かれ、読者に読まれたのです。

    作者は読者に向けて、前例のない敗戦からの再出発という状況の中でわれわれ市民に考えるための心の余地を少しでも与えるために、この横浜の物語を書いていたのでしょうか。

    幕末の開港から明治時代に渡って大正になるまでの横浜は、東京よりも華やいだ国際都市の顔を持っていたそうです。『幻燈』はそうした横浜の初期を垣間見せるとともに、古きを忘れ、新しい時流に乗るのが下手な私にはとても感じる場面が多いのでした。

    天保堂を野毛の通りに構えた篠田亮一さんはハイカラな横浜がいよいよ盛んな頃に東京から来ました。その後に横浜は大正の関東大震災、昭和前半の戦争による空襲と甚大な被害を受けながらも復興の道を進み、現在の横浜へとつながって行きます。


    大佛次郎記念館に通じる谷戸坂沿いに建てられた震災追悼碑(撮影 板垣) 大佛次郎記念館に通じる谷戸坂沿いに建てられた震災追悼碑(撮影 板垣)


    古本屋のじぃさんこと、篠田亮一さんが横浜野毛の町に見出した本売りの醍醐味はどういうものだったのでしょうか。有隣堂はじめ書店や商店街の多彩な交流と人の往来が華やかだったと私は想像します。それは苅部正さんの思い出をうかがっていていての空想です。

    現在、父上の苅部正さんをサポートしながら店を営む苅部眞樹さんがさりげなくおっしゃったことがありました。

    「こんなに世の中にたっくさん本があっても、人間一人が本当に読めるのなんてサ、ほんのちょこっとなンすよ。世の中、分かンないことだらけで自然」

    (了)

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    文責・板垣誠一郎

    参考文献
    ・『昭和文學全集17 大佛次郎集』大佛次郎/著、角川書店、1953年
    ・『ヨコハマB級譚 『ハマ野毛』アンソロジー』平岡正明/編、野毛地区街づくり会/企画、ビレッジセンター、1995年(雪竹太郎「大道芸人〝理論武装〟の試み」所収)


    紹 介

    天保堂苅部書店

    2019年2月3日撮影・板垣
    2019年2月3日撮影・板垣
    住所:〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町3-134
    横浜市中央図書館下(野毛坂)
    定休日:月曜日 
    TEL:045-231-4719 
    FAX : 045-231-4719
    最寄り駅:桜木町駅、日ノ出町駅

    大佛次郎記念館
    The Osaragi Jiro Memorial Musuem

    公式サイト http://osaragi.yafjp.org/

     


    2019年2月配信開始! 東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 
    第1回 横浜駅のおじいちゃん 
    第2回 3行の経歴 
    第3回 神田神保町時代 
    第4回 天保堂の番頭 
    第5回 ミミー宮島と野毛のジャズ 
    第6回 野毛のバラック
    第7回 伊勢佐木町の有隣堂
    第8回 ネコの本屋 
    第9回 バー・マスコットのムッシュウ 
    第10回 野毛大道芸