第6回 浅草文庫
通勤電車と文庫本との相性の良さをこの齢になって気がつきました。片手で保てて角度も調整できる文庫本は小指と親指でページをめくることもできます。神経を使ってても眠気におそわれますが、万が一にもポトンと落としても壊れることはない。
文庫といえば小型の本だとばかり思っていましたが、文庫という言葉は、元々は書物をしまっておく所を指すことだと辞書に出ています。
本をしまっておく所が文庫ならば本屋や図書館もそうだし、個人の書棚も文庫と呼んでいい気がしますがさておきまして、文庫が古い時代の風景を思い出せる言葉であることに気がつきました。
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浅草の地にゆかりを持った「浅草文庫」を名乗る文庫がいくつかあったそうです。
伝えるところでは、江戸幕府を開いた徳川家康公の主治医であった板坂卜斎(ぼくさい)というセンセイがおりました。
卜斎センセイも高齢となり次の世代へのバトンタッチを考えた。
「そろそろ私も齢をとったから隠居させてもらいますヨ。これが本当のドクター・ストップ」なんて家康公に言いやしませんが、卜斎センセイの隠居先が浅草でした。
和漢の書籍を収めた蔵は自分だけでなく人々に公開したそうです。土地の名から浅草文庫と呼ばれました。
とは申せ、今はさることながら当時におきましても和漢の文面を解する人は限られていそうですね。
ほかにも私設の文庫が浅草の辺りに建てられて、浅草文庫として知られています。
特に目立つところでは明治政府が日本のかじ取りに乗り出した時期に、国による図書館が作られる流れが生まれます。浅草の蔵前に文書が収められて浅草文庫が造られました。読書欲の需要の変化を伝える貴重な存在です。(参考 国立国会図書館デジタルコレクション 樋口秀雄「浅草文庫の創立と景況」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3050876)
これを伝える記念碑が台東区蔵前の学校のそば、榊神社の境内には建っています。

蔵前とは江戸幕府が年貢米を貯蔵するために蔵を建てた地域に由来しています。お米は日本の食生活には欠かせませんが、そうした土地柄に書物をしまう文庫があったというのは面白いことです。
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さて、これまでの浅草文庫は書物とは言え今の私たちには判読の困難なものであったと思われますが、時代を経ました昭和の後半に現代的な浅草文庫が登場します。浅草観光連盟の努力によって地元の記録を保存を目的にした資料館です。この浅草文庫は浅草の魅力を伝えるためにも公開されている文庫でありまして、以前は東京電力浅草サービスステーション内、テプコ浅草館内にありました。浅草館という名前にレトロな印象を持ちます。
現在は台東区立中央図書館内にて引き継がれ運営されています。(参考 https://www.city.taito.lg.jp/index/library/kyodo/asakusabunnko.html)
浅草には信仰とエンターテインメントとがあいまった賑やかさと共に、大震災や空襲によって失われた街並みと人命の記憶とが混在した歴史があり、長い年月に渡って沢山の人の手によって本や写真、映像になって語り継がれている。そんなメッセージを図書館2階の浅草文庫コーナーに足を向けると感じます。
ちなみに、浅草文庫を検索すると他にも面白い「浅草文庫」が見つかりますよ!
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文責・板垣誠一郎
2020年8月配信開始 東京のむかしと本屋さん 浅草編 ・第1回 夕刻の日差し ・第2回 二の橋書店の目録『戦塵冊』 ・第3回 二の橋書店の目録『戦塵冊』続 ・第4回 二の橋書店の目録『戦塵冊』続々 ・第5回 二の橋書店の目録『戦塵冊』結び ・第6回 浅草文庫 ・第7回 仲見世の本屋さん ・第8回 木目込人形 ・第9回 座売りの本屋 ・第10回 生活に囲まれた一角
投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部
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