[水道橋/神田三崎町]神田三崎町と有文堂書店の100年。(第10回)歳月の気概(2)

第10回
歳月の気概(2)

4年前の正月に有文堂書店を訪れた人の読んだ歌が載った拡大コピーを、木下サンは祝創業100年の自筆と並べて飾っています。

有文堂書店にて
三 崎 町 の 古 書 店 に ゐ る 三 日 か な
角川春樹

かつて出版と映画や音楽メディアを連動させて社会的ブームを巻き起こした業界人として知られる一方、俳人としても活動する角川氏が有文堂書店を詠んだ一句の存在を教える便りが、ある日木下サンに届いたそうです。「来たのかなア」なんてご謙遜ですが、そもそも三が日から店を開けていることにも驚かされます。「店開けろと言われりゃいつでも」。この元気。

お店は歩いて十歩もすれば一回り。Uの字のわずかな動線のあいだにひしめく本が一冊でも心にとまるかは客の気持ち次第。むしろこのUの字を牛歩戦術するあいだは表の喧騒から離れられるってわけでありますが。

騒ぎといえば‥‥。

白山通りがひどく騒然となった騒ぎをご存じでしょうか。このために三崎町はじめ周辺の生活が混乱し、社会問題になった話がございます。

時は1968年(昭和43)。発端は日本大学に対して国税庁が摘発した20億円に及ぶ使途不明金の存在。大学当局の責任追及を要求した学生と大学側とが対立。混乱は長引いてしまい、「日大紛争」と呼ばれたそうです。事は大変でして、白山通りを通る都電の敷石をはぎ取り、割ったものを投げる人までいたってンですからびっくり。大学キャンパス周辺に住む木下サンたち町の人にとっては生活を乱す出来事です。

東京古書店組合史には当時の様子を次のように伝えています。「デモ隊と機動隊の衝突、警察側の全学共闘集団に対する実力排除の死傷事件等で三崎町、神保町の同業者に甚大な被害を与えた」。交通マヒによる送品の遅れ、お客の減少、店建物の被害。

春先に始まった紛争は、秋口に町会が連名で大学側に紛争解決を求める抗議書を、都議会への請願・陳情書を出す深刻な事態になってしまったそうです。

さて、この話を聞いて私が思い出したのは、2011年3月11日。あの大地震が起き、会社を早々に切り上げた人々の多くが家路を求めて歩き出していました。電車は止まり、東北で起きた大津波の映像を直視した混乱で、白山通りにも多くが列をなしていました。私もその中の一人でありました。家に帰れるか不安だったなあ。

混乱が起きて初めて判るのが平常の姿です。

常日頃から車はひっきりなしにびゅんびゅん、歩道も切れ目なしの白山通り。その流れの合い間をみつけ立ち止まる。横丁の角に建っているお店の戸は日中はずされ、暑かろうが寒かろうが関係ない。本はただただ黙っている。木下サンが付けた値札の字面はいさぎよい。客は木下サンと目が合った錯覚を憶える。番台が女将さんだったらにっこりと会釈して下さる。木下サンの時は気弱な客はちょっと気構える。「いらっしゃいませぇ〜」なんてお愛想はまず出ない。とにかく暑いですね‥‥なんて口にしたらいいんです。きっとこう返ってきます。

「うちはァ戸がないスから。夏は暖房、冬、冷房。」

(了)

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参考文献:

  • 『東京古書店組合五十年史』小林静生/編集責任、東京都古書籍商業協同組合/発行、1974年
  • 『明治生れの町 神田三崎町』鈴木理生/著、青蛙房、1978年

文責・板垣誠一郎

〈2017年5月配信!〉 
神田三崎町と有文堂書店の100年。 ── 店主・木下長次郎さんにきいた思い出ばなし。

投稿者: 東京のむかしと本屋さん編集部

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